講座347 「怒る」はダメ!「叱る」はいい?
講座346で、まだ青いイチゴをもいで来てしまった女の子の話をしました。
こういう時の「正しい対応」は一つです、というお話をしました。
その時に読者の方からこんなコメントをいただきました。
大切なことはとてもわかります!!!
でも、直面したとき難しい〜というのが正直なところです
頭では知っていても、いざその場になったら子どもを叱ってしまうのではないかというコメントです。
とてもよくわかります。
「トミちゃん!青いの取って来ちゃダメでしょ!食べられないのよ!」
とかって言っちゃいますよね。
そして、あとから、
(あ、でも「大きい・小さい」を言えたのはほめてあげなくちゃ!)
と心の中で後悔したりしますよね。
それで急いで後から「でも、大きいのと小さいのよく言えたね!えらい!」などと付け足したりしますよね。
また、これとは逆のパターンもあるでしょう。
「そうだね~!大きいと小さいだね~!よく言えたねえ!でも、まだ青いイチゴは食べられないから取って来ちゃダメですよ!」
と最後に指導を入れるパターンです。
しかし、講座346では「正しい対応は一つだけ」でした。
A:イチゴを勝手に取って来たことを叱るだけ
B:大きい・小さいを言えたことをほめるだけ
C:大きい・小さいを言えたことをほめて、でもイチゴを取ったことはダメだったと伝える
D:イチゴを取ったことはダメだったとして、大きい・小さいを言えたことはほめる
講座346では「B」だけが正解であることを解説しました。
多分、解説を読めば「そっかー」「そうなんだ」となると思います。
でも、それは「その時だけ」で、現実場面になったら叱ってしまうかも知れませんよね。
そこで今回は、講座346を読んだだけでは叱ってしまうかも知れないという方でも、叱らなくなくような深い解説をやってみたいと思います。
2.語尾にこだわる
3.「対比せよ」
4.私の授業
5.思考の道具
6.同時には働かない
7.報酬系回路
1.「叱る」と「怒る」の違い
Googleで「叱る 怒る」を検索すると80万件くらいのヒットがあり、記事がズラーっと並びます。
内容はだいたい同じです。
「叱る」は冷静だけど、「怒る」は感情的になっている。
たとえば、ポジティブ心理学の記事を読んでみるとこんな説明があります。
・なんて悪い子なの!
・ダメな子ね
・あなたが悪い!
こういう叱り方はダメなんだそうです。
そりゃそうですよね。
次のようなのが良いそうです。
・いまの言い方はよくないよ
・いまの○○は良くなかった
・いまやっている○○をやめて
今、目の前のことだけを叱るのがい良いという説明がありました。
たしかに「怒る」ではなく「叱る」になっていますよね。
これがポジティブ心理学の叱り方なんだそうです。
でも、本当にこれでいいのでしょうか?
2.語尾にこだわる
そこで、皆さんに問題を出します。
国語の授業です。
小学校5年生くらいのレベルです。
ぜひ、挑戦してみてください。
【問題】:「叱る」と「怒る」を対比せよ。
私は現役の時によくこんな風に授業をしていました。
普通の先生は「比べましょう」とか「比べてみましょう」って言いますよね。
でも私はそういう言い方をしていませんでした。
「~ましょう」だと誰に言っているのか曖昧です。
問題を出した先生と子どもたちとで一緒に考えるってことですか?
違いますよね。
先生が子どもに問題を出したのですから、取り組むのは子どもたちです。
ですからここは「比べなさい」などと明確に指示すべきなのです。
先日の大学入学共通テストの問題を見てみましょう。
問3 これを読んだ生徒の発言のうち、資料の趣旨に合致する発言として最も適当なものを、後の①~④のうちから一つ選べ。
「選べ」ですよ。
端的で、明確です。
これは何も大学入試だからではありません。
小学生向けの知能検査でも語尾は「選びなさい」と明確です。
発達障害に詳しい方ならわかると思いますが、ASDの子の中には、先生が「~ましょう」と言っても動かないで無視するお子さんがいます。
これは「自分に言われてるわけじゃない」と思ってしまうからです。
悪気があって無視しているわけではないのです。
「~しなさい」と言ってもらった方が明確で分かりやすいのです。
ただ、これは100%そういうわけではありません。
ASDの子の中には命令的・高圧的な言い方を嫌う子もいます。
「オレに命令すんな!」ってなっちゃう子もいるのです。
ですから、その子との関係も考慮しなければいけません。
ただ、私の経験上、学校の先生方はこのような考え方ではなくて、
ただ単に「比べなさい」だと冷たい感じがするので優しく「比べましょう」と言っちゃう
という先生が多いように思います。
国語的には不正確なのですが、気持ち的に言っちゃうんでしょうね。
まあ、気持ちはわかりますけど私は言いませんでした。
私は授業者と学習者を明確に区別していました。
休み時間は別ですよ。
授業は公的な場ですからね。
3.「対比せよ」
授業で使う言葉は意識的です。
①「叱る」と「怒る」を比べましょう。
②「叱る」と「怒る」を比べてみましょう。
③「叱る」と「怒る」を比べなさい。
どれを使うか。教師は考えます。
そこで、私が使っていたのは、これなのです。
【問題】:「叱る」と「怒る」を対比せよ。
なんかカッコつけています。
学問的、学者的、知的な雰囲気。
私は小学生に対して敢えてこういう風に使っていました。
「これは授業なんだよ」
「先生は今からみんなに高級な授業をするんだよ」
そういう気持ちだったと思います。
これだと、もはや命令的とか高圧的という次元ではなく、ぶっ飛んでいますからASDの子も学問の世界に入ってくれます。
ついでなので書きますが、国語の問題(発問とも言います)というのは、授業中にブレたりしません。
授業時間に教師が何度か口にする時があると思いますが、一言一句違わず全く同じ言葉を発します。
黒板に「叱る」と「怒る」を対比せよ。と書き終わったら、
自分の口で、
「叱る」と「怒る」を対比せよ。自分の考えをノートに書きなさい。
と全く同じ言葉を言って進めます。
さあ、皆さんはこの問題に答えられますか?
先に書いてしまいますが、このブログを読んでいる多くの方々は正解を出せないと思います。
そうですね、大学で国語を教えている先生なら正解すると思いますが、小中学校の先生だと怪しいと思います。
でも、私が受け持っていた小学校5年生なら正解を出せるはずです。
小学生に出来て、大人には無理?
この問題はそういう問題なのです。
4.私の授業
無理だと思うのであとで正解を書くことにしますが、何人かの方はこれを読んでいる途中で気がつくと思います。
【問題】:「叱る」と「怒る」を対比せよ。
この問題を出すと、多くの大人は次のようなことを答えます。
「叱る」は冷静、「怒る」は感情的。
それに対して、私は次のように言います。
「50点!」
「ま、半分は合ってますね!」というメッセージです。
多くの人はこのように言われてもピンと来ないでしょう。
それでさらに、次のように言います。
「問題をよく読みなさい。」
これは私が現役時代にしょっちゅう使っていた言葉です。
「半分合ってるな。」
「問題をよく読みなさい。」
すると、子どもたちは問題をもう一度読みます。
【問題】:「叱る」と「怒る」を対比せよ。
「対比(たいひ)」というのは比べることです。
5年生は「比べることを対比と言う」という勉強を済ませていますから全員が知っています。
また、授業でもたびたび使う用語なので使い方まで知っています。
大人の方が慣れていないはずです。
世の中の大人が慣れているのは次のような言い方です。
【問題】:「叱る」と「怒る」はどこが違いますか?
「比べる」というと、多くの人は「どこが違うんだろう?」という思考に走りやすいはずです。
Googleで検索しても、出て来るのは「違い」ばかりです。
「叱る」は冷静、「怒る」は感情的。
違いを答えるだけならこれでもマルをもらえるでしょう。
しかし、私が出した問題は「違い」ではありません。
「対比せよ(比べよ)」です。
さっきの答えがなぜ50点なのか、気がつきましたか?
5.思考の道具
「どこが違うんだろう?」という考え方は相違点を見つけ出す思考です。
それに対し、「対比せよ(比べよ)」は、比べるわけですから「違い」だけではなく「同じところ」も見つけようとします。
どこが違うんだろう?:相違点を見つけ出す思考
対比(比べる):相違点も共通点も見つけ出す思考
この二つは終点が違うのです。
「どこが違うんだろう?」は、違いを見つけ出したら、そこで思考終了です。
しかし、対比(比べる)は、違いを見つけたとしても思考終了とはなりません。
私が授業の中で「比べる」ではなく「対比」という熟語を使ったのは、この言葉は《相違点と共通点の両方を考える言葉だ》という意識を持たせるためです。
これを「思考の道具」「分析用語」とも言います。
深い思考ができるように、ものの見方・考え方を授けたわけです。
さて、「叱る」と「怒る」の共通点は何でしょう?
おそらく、次のような共通点が出るでしょう。
・どちらも相手を下に見ている
・どちらも相手を落ち込ませる
「叱る」も「怒る」も視点は大人側にあります。
視点を子どもに移すと「叱られる」「怒られる」です。
そうすると共通点が分かりやすくなります。
程度の違いはあっても「どちらも相手を落ち込ませる」という点で共通しています。
実はここが重要なのです。
6.同時には働かない
講座190「悪い子」の育て方②で、次のスライドを提示しました。
人間脳と動物脳は同時には働かないという話です。
人は、叱られると感情が働きます。
「しまった!」とか、
「怒られるのかな?」とか、
親が怒らなくてもネガティブな感情が働き出すのです。
これはもう動物の本能です。
動物は、生存していくために失敗に対して敏感なのです。
同じ失敗を繰り返さないように防衛反応が働くのです。
親が感情的になって怒鳴った時はより激しく働きます。
しかし、冷静に優しく注意したとしても、多少のネガティブ感情は生まれます。
・いまの言い方はよくないよ
・いまの○○は良くなかった
・いまやっている○○をやめて
どんなに優しく言ったとしても、「叱る」という行為は相手にネガティブ感情を発生させます。
叱られた瞬間は人間脳のスイッチが切れています。
このことを踏まえてもう一度CとDを検討してみましょう。
C:大きい・小さいを言えたことをほめて、でもイチゴを取ったことはダメだったと伝える
ほめられた瞬間はうれしい気持ちが湧いて来ます。
でも、その直後に否定的な言葉が入ると、うれしい気持ちは消えます。
ネガティブ感情は本能ですから自動的・反射的に入るのです。
大きい・小さいを言えたことをほめられるとドーパミンというホルモンが分泌されて学習意欲が高まり、「また頑張ろう!」「またお母さんに報告しよう!」となるのですが、否定語はドーパミンの分泌をストップさせます。
ほめた意味はなくなる
前頭前野が発達して、「言えたことはほめられた。でも青いイチゴを取ったのはダメだった」というように、「でも」を使い、感情を停止させて、分けて考えられるようであれば大丈夫です。
しかし、この方法を子育ての基本形にすべきではありません。
多くの場合は、うれしい気持ちが消えて、ネガティブな感情が残ります。
それだけではありません。
この場合、さらに重大なことがあります。
ベランダから青いイチゴをもいで来て、お母さんにイチゴを見せて「これ大きい!」「これ小さい!」と言って来た。
つまり、この子は「大きい・小さい」が分かったことをお母さんに知らせに来たわけです。
ほめてもらえることを期待していたわけです。
このような時は絶対に、微塵も否定してはいけません。
その理由を次に説明します。
7.報酬系回路
脳には報酬系回路という仕組みがあります。
ある行動をしてほめられれば、その行動をまたやろうとします。
それが自分自身を成長させるために合理的な方法だと(脳が)認識するからです。
逆に、
ほめられることを期待していたのにほめられなかった場合(脳は)その方法はムダだと判断します。
「青いイチゴを取っちゃダメなんだ」ということも学習するかも知れませんが、それと同時に(脳は)「お母さんに報告するという方法で報酬をもらえなかった」と認識します。
この意味がわかりますか?
報酬系回路の仕組みを整理します。
ほめられる → 期待する → またほめられる → 行動が強化される
これが脳の性質なのです。
ところが、期待していたのに「ほめられなかった」逆に「否定された」といった場合は、脳が「この回路はムダだった」と判断して回路自体を消去してしまいます。
以上のことを知った上で、もう一度Cを見つめ直してみて下さい。
C:大きい・小さいを言えたことをほめて、でもイチゴを取ったことはダメだったと伝える
同様に、Dも検討してみて下さい。
D:イチゴを取ったことはダメだったとして、大きい・小さいを言えたことはほめる
大きい・小さいを言えたことをほめられるとドーパミンというホルモンが分泌されて学習意欲が高まり、「また頑張ろう!」「またお母さんに報告しよう!」となります。
否定語はドーパミンの分泌をストップさせます。
それが脳の報酬系回路です。
つまり、正しい対応かどうかの判断基準は、報酬系回路がプラスに回るかどうかというとことにあります。
A~Dの対応で言えば、プラスに回るのは「ほめる」だけの時です。
基本的に、否定語が入るとプラスに回りません。
それは「怒る」であろうと「叱る」であろうと関係ありません。
「怒る」「叱る」は視点が大人の側にある言葉です。
視点を子ども側に移すと、「怒られる」も「叱られる」も感情をネガティブにさせます。
それは脳の反応ですから仕方ありません。
しかし、それだけではなく、ほめられて育つ報酬系回路までダメにさせてしまうのです。
子ども:「ママ~!大きいイチゴと、小さいイチゴ見つけた!」
母親:「え~!ホントだあ!『大きい』と『小さい』だねえー!」
(指をさしながら)「大きい!小さい!、大きい!小さい!」と言って一緒に喜ぶ。
これが子どもの発達を促す正しい対応です。
A:イチゴを勝手に取って来たことを叱るだけ【-∞】
B:大きい・小さいを言えたことをほめるだけ【+∞】
C:大きい・小さいを言えたことをほめて、でもイチゴを取ったことはダメだったと伝える【-∞】
D:イチゴを取ったことはダメだったとして、大きい・小さいを言えたことはほめる【-∞】
それでも納得できない方は、多分、「青いイチゴをもいだ」ということにこだわっていらっしゃるのだと思います。
それならベランダのプランターを子どもの手の届かない場所に移すとか、いくらでも工夫ができると思います。
子どもに取らせたいのならば、青いイチゴを一緒にかじってみてはどうでしょう。
「青いのはおいしくないね」という体験をするのもいいかも知れませんね。
ズルい考えかも知れませんが、お母さんはほめてくれる存在であり続けるのがいいです。
悪役は青いイチゴにさせちゃえばよいのです。
心に余裕が無いと、子供が嫌な気持ちになるような対応をしてしまう、、、怒らない心が欲しい。
以前、怒らないを実践できたと伝えましたが、また、怒るようになってしまいました。それでも、怒らない時の感覚は掴めたので、修正して、また戻ってを繰り返しているような感じです。子供には、最近怒る回数が減ったと言われました。
特に、体調が良くない時、時間がない時などは怒りやすい。お母さんは体調管理も大事だと思います。そして、そういう日は、こちらの状況や、怒ってしまっていることを、なるべく子供に言葉で伝えるようにしています。
青いイチゴを一緒にかじっちゃえばいい
良い体験ですね!一緒に体験して言語化してあげているところも良いと感じました。
上着を着たくないと言ってる時、着ないで外に出すと寒いを体験してやっぱ着る!と言ったことを思い出しました。
そういう体験も大切ですよね。
そうなんです。
工夫の仕方はあると思うのです。
工夫するのは楽しいはず。
でも工夫をする余裕がありません!と言われることも…。涙