講座506 廣瀬爽彩さんが生きた証・「旭川いじめ凍死事件」

2.はじめての育児
3.乳児期の大変さ「母親のQOL」
4.ターニングポイント
5.「小中間の引き継ぎ」における問題点
6.「発達障害」に対する理解不足
1.誕生
廣瀬爽彩さんは2006年(平成18年)9月5日に北海道旭川市で生まれました。
爽彩さんが生まれた翌日に、秋篠宮妃紀子さまが男の子をご出産されています。悠仁(ひさひと)さまです。
爽彩さんは体重3384gの元気な女の子でした。
難産でしたが、すくすく育ちました。
小学校ではインフルエンザ以外に休んだことがなく、皆勤賞をもらったほどです。
お母さんは生まれたばかりの爽彩さんを見て、自分と同じ「さ」の付く名前にしようと思って、入院中に「爽彩」と名付けました。

2.はじめての育児
お母さんはこの時、20歳です。
若いお母さんでしたが、育児本などを読んで熱心に育てました。
育児本には《赤ちゃんは2時間おきに泣く》と書いてあるのに、爽彩さんは30分おきに泣くし、夜も眠るのが苦手な赤ちゃんでした。
お母さんの手記には次のように記されています。
3歳くらいまで夜泣きも続きました。揺れが心地よかったのか、車に乗せるとすぐに寝てくれたので、爽彩が深夜1時くらいまで泣いてぐずる日は、アパートの人たちに迷惑になってしまうので、ミルクとお湯の入った水筒、オムツを持って、真夜中にドライブをすることが日課になっていました。出典:文春オンライン特集班 『娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件』文藝春秋Kindle 版
子育てに奮闘されている様子が目に浮かびます。
子育て支援のアプリ開発などを手掛けている株式会社エバーセンスの調査によると、夜泣きのピークは「生後6ヶ月以前」という回答が多かったそうです。
「1歳7ケ月以降」が1%というのを見ると、爽彩さんの夜泣きはかなり長く続いたことがわかります。
お母さんの苦労が伝わる箇所を手記からもうひとつ紹介させていただきます。
チャイルドシートに爽彩を寝かせて、行く当てもなく近所をぐるぐる回るのです。すると、10分くらいで寝てしまう。でも、寝たと思って降ろそうとすると起きてしまうから、車を駐車場に停めて爽彩に毛布を掛けてエンジンをかけたまま、よく朝まで二人で寝ていました。出典:前掲著
なんと優しいお母さんでしょう。
世の中には子供を置き去りにしてパチンコやショッピングをする母親もいるというのに、朝まで車で寝るなんて。
これでは育児の疲れがとれなかったのではないでしょうか。
無理を承知で言えば、この時のお母さんに「輸送反応」と「お腹スイッチ」を教えてあげたかったです。

3.乳児期の大変さ「母親のQOL」
2024年9月13日に旭川市が公表したこの事件の公開報告書には次の記述があります。
生後4ヶ月頃までは睡眠時間が極端に短く、毎日ほとんど泣き続けていた、出典:「旭川市いじめ問題再調査報告書(公表版)」16ページ
若いとは言え、出産を終えたばかりです。
お母さん自身の睡眠も足りなかったのではないでしょうか。
保健師または助産師の支援はあったのでしょうか?
厚生労働省は2005年から「育児支援家庭訪問事業」をスタートさせています。
この事業が対象としていたのは「一般の子育サービスを利用することが難しい家庭」であって、いくつかの条件が規定されていました。出典:「育児支援家庭訪問事業の実施について」厚生労働省
爽彩さんが生まれた年は行政側が積極的に訪問するというよりは、養育者側が《自分からサービスを受けに行く》という行動が必要でした。
ですから、保健師や助産師などの積極的な訪問はなかったかもしれません。
ちなみに、爽彩さんが生まれた年の翌年2007年から、児童福祉法の改正により「乳児家庭全戸訪問事業(こんにちは赤ちゃん事業)」が始まりました。
この新しい事業では「生後4か月までの乳児のいるすべての家庭」を訪問することが目的になっています。
ですから、あと1年違えば、支援の手が届いていたのかもしれません。
でも、この「乳児家庭全戸訪問事業」の実施には課題があります。
2020年4月時点の実施率は全国平均で「99.9%」となっています(出典:「乳児家庭全戸訪問事業の実施状況調査」こども家庭庁)
が、これはこの事業に《取り組んでいる》という数値であって、《訪問が出来ている》という数値ではありません。
このうち実際に訪問が出来たのは「52.7%」です。
つまり、「全戸訪問」を目的にした事業ですが、約半分しか訪問が出来ていないわけです。
2024年現在でもこの数値に大差はないと考えられます。
その理由はいくつかありますが、まずはこの事業が《努力義務》だからという点が大きいでしょう。
もうひとつの理由として、《養育者側が訪問を嫌がる》という実態もあります。
《子育て中の家に入って来て欲しくない》という気持ちが働くのだと思います。
行政側の理由のトップは「日程の調整ができなかった」というものですが、この背景には行政側の多忙感も推測できます。
いずれにしても、2024年の現在にあっても乳児期の子育て支援には課題があるということです。
ついでに付け加えておきますと、この「乳児家庭全戸訪問事業」の訪問スタッフは保健師や助産師などの専門家だけではありません。
民生委員や町内会や子育て経験者など幅広い人材の活用が待たれています。
これは《子育ては社会全体で行うもの》という考え方から生まれた事業の証拠なのですが、そのシステムが未完成だということです。
保健師の野原真理さんと助産師の中田久恵さんの研究論文に興味深い考察があります。出典:「母親の QOL と育児不安」(2019)

育児不安の構造は,【育児で心配なこと】がベースとなり,そこに【育児の負担感】,【育児の孤独感】が伴いやすい。育児不安の中で【母親として不適格と思う】ことは産後12ゕ月に最も増加し,母親のQOL の高低差も明確になったことから,育児不安の最終形態として母親が自分を不適格と判断してしまう構造があるのではないかと考えられた。出典:「母親の QOL と育児不安」(2019)
QOL(クオリティ オブ ライフ)とは、日本語で「生活の質」「生命の質」などと訳され、個人の生活満足度や充実感、自分らしさを評価するための概念です。
これが子育ての構造だとしますと、子育てには、第一段階として《子育てに関する知識やスキルを持つこと》や《アクセスしやすくすること》が必要で、そのことが「負担感」や「孤立感」を予防し、自己否定に至る道を断ち切ることになります。
《子育てに関する知識やスキルを持つこと》と《アクセスしやすくすること》は「行政訪問」の要点です。
また、このことは「乳児家庭全戸訪問事業(こんにちは赤ちゃん事業)」に限らず、社会全体の課題でもあります。
私は2024年の秋に、自分に出来ることとして、拙著『みんなの子育てスキル』(マイクロマガジン)を上辞しました。
もっと早くにこの本を出版できていたならという思いがありますが、それは傲りではありません。
社会に対する怒りの方が強いと思います。

4.ターニングポイント
爽彩さんのお母さんは「夜泣き」以外にも不安を抱えていました。
それは「言葉の発達」に対する不安です。
爽彩さんは3歳になっても片言しか話すことが出来ませんでした。
報告書に次の記述があります。
3歳児健診において「言葉の理解力が弱い」との指摘を受け、小児科に通院したものの、保育園への入園は問題ないとのことで、保育園に入園した、(報告書16ページ)
爽彩さんは小学校4年生の時にASD(自閉症スペクトラム症)と診断されています。
「睡眠異常」も「言葉の発達」もASD判断の要素です。
私は先に「社会に対する怒り」という言葉を使いましたが、爽彩さんの事件において、この発達障害の問題は非常に大きなウエイトを占めています。
報告書では爽彩さんに対するいじめは「7件」あったと認定しました。
その始まりは中学1年(2019年)の4月でした。
①E 中1年のクラスにおいて、廣瀬爽彩の特性を背景として、クラス内の人間関係から疎外されていると感じさせ、孤独感を抱かせるに至ったこと(報告書137ページ)
②E 中1年のクラスにおいて、廣瀬爽彩の特徴的な行動( 「大食い」「大食い女」)を取り立てて指摘したり、廣瀬爽彩の(自分たちとの)「違い」を、略語・隠語(「あたおか」、「きちがい」、「ガイジ」)で言ったり、クールダウンのために教室を離れる廣瀬爽彩の行動を「私もう帰る」といった言葉とともに真似をして笑いをとったりしたこと(報告書137ページ)
書いている手が何度も止まるほど、つらい気持ちにさせられます。
その一方で、ここには《おかしな所》があるのです。
まず、主語がないことです。
多分、①と②の主語はクラスの生徒たちなのでしょう。
調査の時には、その生徒たちを特定することができなかったのだと思います。
しかし、それはそれとして、《おかしな所》は次の言葉です。
「特性」
「クールダウン」
これは発達障害を前提にした用語です。
このクラスの生徒は爽彩さんが発達障害であることを理解していたのでしょうか?
私はこの報告書を何度も読みましたが、生徒たちは爽彩さんが発達障害であることを認識していなかったのだと思います。
そして、もし、知っていたならば、「いじめ」には至らず、悲しい事件も起きなったのではないかと考えるのです。
ターニングポイントは2つあります。
(1)小中間での引継ぎがうまく出来ていなかったこと
(2)カミングアウトしたいという本人からの申し出を断ったこと
この2つについて詳しく検証します。

5.「小中間の引き継ぎ」における問題点
小学校から中学校への引継ぎについて、本件当時、B小とE中の間では、各児童の状況を一覧的に整理して共有すると共に、教員らが面談し、口頭の補足説明を行うかたちでなされていた。特別支援学級に属する児童については、「すくらむ」という、医師の診断やそれを踏まえた具体的な支援の内容などを記した資料か作成されるが、これについては学校間で引き渡されるのではなく、保護者において保管し、小学校に引き続き中学校でも特別支援学級に入級する場合は、保護者から中学校に提示されることとなっていた。廣瀬爽彩については、小学校卒業時通常学級に転籍しており、また、中学校においても通常学級での入学となったため、「すくらむ」を中学校へも提示するようにとの助言は小学校側から母親にされていなかった。(報告書24ページ)
「すくらむ」といのは旭川市教育委員会が作成している「個別の支援計画」のことですが、多分これは国が定めている「個別の教育支援計画」のことだと思います。
実は、同じような言葉があふれていて、非常に紛らわしくなっているという現状があります。
A:個別支援計画…厚生労働省「障害者自立支援法」に基づく「厚生労働省令第171号」(2006年)
B:個別の教育支援計画…文部科学省「学習指導要領」総則・第4 児童の発達の支援(2017年)
C:個別の指導計画…文部科学省「学習指導要領」総則・第4 児童の発達の支援(2017年)
Aは福祉領域の支援計画で、たとえば放課後児童デイなどの障害者福祉サービスの事業所が作成する計画です。
BとCは、学校や幼稚園など教育領域の支援計画で、乳幼児期から学校卒業後までのすべての子供達を対象に作成する計画です。
Aは義務です。
BとCについては、通級、特別支援学級、特別支援学校では義務ですが、幼稚園、保育所、認定こども園、小中高の通常学級では努力義務です。参考:「乳幼児教育における特別支援教育の推進」(2019)
爽彩さんは4年生でASDと診断されて、5年生の二学期から特別支援学級に異動していますので「個別の教育支援計画」と「個別の指導計画」は作成されています。
しかし、6年生の途中でD中受験のために通常学級に転籍しています。
そして、E中に入学した時も通常学級でした。
ですから、E中において「個別の教育支援計画」が作成されたかどうかは(学校の努力義務なので)不確かです。
ただし、小学校で作成した「個別の教育支援計画」は残っていたはずです。
それは中学校へ引き継がれたのでしょうか?
中学校においても通常学級での入学となったため、「すくらむ」を中学校へも提示するようにとの助言は小学校側から母親にされていなかった。(報告書24ページ)
「個別の教育支援計画」は個人情報なので簡単に《写し》をとることが出来ません。
ですから、基本的には小学校卒業時に一旦保護者へ渡して、中学校入学時に保護者が学校へ渡すという手順になります。
ただし、それ以外の方法がないわけではありません。
2つ考えられます。
①保護者に同意を得た上で原本をそのまま中学校へ引き継ぐ
②面談の時に、保護者が同席した場で原本を引き継ぐ
文科省の規定では、「本人や保護者の同意を得た上で、進学先等に適切に引き継ぐよう努めること。」とあるので、同意に努めつつ引き継がれれば問題はありません。出典:30文科初第756号
しかし、報告書を読む限り、「すくらむ」は家庭に保管されていたようです。
もし、そうだとすれば、これは学校側に責任が生じます。
なぜなら次の規定があるからです。
個別の教育支援計画の引継ぎ
障害のある児童生徒等については、学校生活のみならず、家庭生活や地域での生活も含め、長期的な視点に立って幼児期から学校卒業後までの一貫した支援を行うことが重要であることから、各学校においては、個別の教育支援計画について、本人や保護者の同意を得た上で、進学先等に適切に引き継ぐよう努めること。そのため、個別の教育支援計画を作成する際に、本人や保護者に対し、その趣旨や目的を十分に説明して理解を得、第三者に引き継ぐ旨についてもあらかじめ引継先や内容などの範囲を明確にした上で、同意を得ておくこと。また、各自治体の関係部局や関係機関等が連携し、就学、進学、就労等の際に円滑に引き継ぐことができる体制の構築に努めること。出典:30文科初第756号
もとより「個別の教育支援計画」というのは、「幼児期から学校卒業後までの一貫した支援を行うこと」を目的にして作られた文書です。
「学校卒業後まで」というのは《学校教育が終わった後も》という意味です。
これは、障害のある児童生徒に対する次の考え方に基づいています。
障害のある児童生徒に対する教育的支援は、教育のみならず、福祉、医療、労働等の様々な側面から多様な取組が求められるため、関係機関、関係部局の連携協力をこれまで以上に密接にすることにより、専門性に根ざした総合的な教育的支援が可能となる。こうした関係機関等の連携を効果的に行う上でも、「個別の教育支援計画」は有効なものと考えられる。出典:「今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)」
これがイメージ図です。
くり返しになりますが、障害のある児童生徒に対する支援は、教育のみならず、福祉、医療、労働等の様々な側面から、多様で、一貫したものでなければなりません。
「教育のみならず」ですから、学校教育(小学校、中学校、高等学校など)での支援は当然のことです。
にもかかわらず、爽彩さんへの支援は途切れてしまいました。
この責任は学校にあります。
各学校においては、個別の教育支援計画について、本人や保護者の同意を得た上で、進学先等に適切に引き継ぐよう努めること。出典:30文科初第756号(再掲)
「進学先等に適切に引き継ぐよう努めること」とありますから、その「努め」を怠った責任は小学校にあります。
中学校においても通常学級での入学となったため、「すくらむ」を中学校へも提示するようにとの助言は小学校側から母親にされていなかった。(報告書24ページ)
お母さんは、中学校へも提示することを告げられずに「すくらむ」を返されたわけですから、もう要らないのだと判断されたのではないでしょうか。
通常学級になっているわけですから、説明されなければわかりません。
ただ、5年生で「個別の教育支援計画」を作成した時に、《これは中学校に上がった後も引き継がれるものです》という説明があったのかという点は不明です。
しかし、あったとしても、返却された時に説明がなかったわけですから、引継ぎに落ち度があったことは否めません。
したがって、爽彩さんの引継ぎは次のように行われました。
教員らが面談し、口頭の補足説明を行うかたちでなされていた。(報告書24ページ)
つまり、保護者は参加していません。
教師同士による面談だったようです。
では、引継ぎの場に「個別の教育支援計画」が無かったとして、爽彩さんに関する《その他の資料》はあったのでしょうか?
通例、学校では何かトラブルが発生した時などにその記録を残します。
また、検査やテスト結果などの資料も引継ぎのために役立ちます。
そのように引継ぎを想定した資料を「相談支援ファイル」などと呼びます。
文科省の「障害のある子供の教育支援の手引」には次のように書かれています。
情報の引継ぎ
個別の支援計画やそれに類似した計画等を作成・活用している場合は,保護者の協力を得ながら,既存の計画等の関係資料を,早期からの一貫性や一覧性が高く関係機関等の間の情報共有が容易なファイル(「相談支援ファイル」等)の形でとりまとめ,適宜就学に関する情報を追加するなど,計画作成の作業負担の効率化を図ることも有効である。出典:「障害のある子供の教育支援の手引」
爽彩さんは4年生の時にWISCとバウムテストを受けています。
これは重要な資料です。
これも通例ですが、一度でもWISCなどの発達検査を受けた児童については日常の記録をを含め、検査結果やその後の状況などを引継ぎのためにファイルしておくものです。
報告書を読む限り、そうした資料も無かったということなのでしょう。
そこにあったのはこれだけのようです。
各児童の状況を一覧的に整理して共有すると共に、(報告書24ページ)
クラスの全員の子供達の状況が一覧表のような形で資料にまとめられていたようです。
そして、それに対して「口頭の補足説明」が行われたのでしょう。
このことからも、爽彩さん個人に関する引継ぎ資料は無かったことがわかります。
一時期であれ特別支援学級に在籍していた児童に対しては、個人的な引き継がなかったとしたならば、支援に「切れ目」が生じていたということになります。
なぜならば、口頭での引継ぎは、特性による表面的な問題行動の伝達に偏り、特性に対する理解や具体的な支援の仕方にまで言及出来ない場合が多いからです。
また、たとえ特性に対する理解や具体的な支援の仕方について話されていたとしても、それをメモするのが精一杯であり、後から正しく確認することができません。
口頭での引継ぎによるリスク
・特性による表面的な問題行動の伝達に偏る可能性
・特性に対する理解や具体的な支援の仕方に言及出来ない可能性
・特性に対する理解や具体的な支援の仕方を後から確認することが出来ない可能性
事実、中学校への引継ぎに関しては次のように報告されています。
廣瀬爽彩については、一覧的な整理の中で、5年生から6年生の10月まで情緒学級に在籍していたがD中受験のため退級したこと、 キレる・教室を出て行くなどの間題行動が多数あったことか示されたほか、以下の内容が補足的に共有された。
・ASDであること。
・家庭教育か十分に行き届かず、 忘れ物が多いこと。
・食にこだわりかあること。よく腹痛を訴えること。給食はおかわりをしてよく食べること。
・身たしなみに課題があること。
・男性教師や男子児童とコミュニケーションを取りたがること。
・塾をやめさせられたことがあること。
・遅刻か多く、長業態度に問題かあり、午後に居眠りすることかあると。
・人にあやまるときには教師の介在が必要であること。
・現在、X病院に通院して薬を服用していること。普通高校進学を希望していること。(報告書24ページ)
これらはまさに、《特性による表面的な問題行動の伝達》であり、《特性に対する理解や具体的な支援の仕方》に言及していない引継ぎです。
このような引継ぎで、爽彩さんに対する適切な支援が期待できるでしょうか。
むしろ、事態はますます悪化するような気がするのは私だけでしょうか。
そして、このようなことが生じる問題はどこにあるのでしょう。
先に示したように、教育や福祉の現場には同じような計画の作成が義務付けられています。
A:個別支援計画…厚生労働省「障害者自立支援法」に基づく「厚生労働省令第171号」(2006年)
B:個別の教育支援計画…文部科学省「学習指導要領」総則・第4 児童の発達の支援(2017年)
C:個別の指導計画…文部科学省「学習指導要領」総則・第4 児童の発達の支援(2017年)
これらは、「の」が付くかどうかの違いであったり、既に混乱しているので勝手に「の」を付けたり、取ったりという状況が生じています。
「一貫して的確な教育的支援」を行うのであれば、学校においても、放課後児童デイにおいても、同じ書類で支援を行うべきではないでしょうか。
そうすれば担当者の事務作業も軽減されるでしょう。
そして何よりも、《支援の切れ目》がなくなります。
行政は《切れ目のない支援》を目指していますが、実際には切れ目が存在してます。
これは爽彩さんが命を犠牲にして私たちに示してしてくれたことです。
現在、通常学級に在籍する児童生徒の 「個別の教育支援計画」と「個別の指導計画」の作成は努力義務にとどまっていますが、義務であろうと努力義務であろうと、支援と引継ぎを必要とする児童生徒は多数存在しています。
教育現場も、福祉の現場も、行政の現場も、余裕がなくなれば形式だけの作業に陥ったり、引継ぎが曖昧になったりするする可能性が高まります。
しかし、その小さな事務的なミスが一人の子の人生に大きな影響を与えてしまうこともあるのです。
包括的な法改正、あるいはICTを活用した効率的な事務によって、どの現場も救われるようになって欲しいと願います。

6.「発達障害」に対する理解不足
廣瀬爽彩から自分の特性のことをみんなに伝えたいという話があり、それではやってみようかという話になった。(報告書42ページ)
私はここを読んだ時に驚きました。
なんて強い子なんだろうと思いました。
この決断に至るまでには、いくつものつらい体験があったはずです。
たとえば、E中学校に入学したばかりの4月22日の出来事です。
掃除の際の出来事
4月22日、班で掃除をしていた際、廣瀬爽彩以外の生徒が箒で遊ぶなどしてなかなか掃除が終わらなかったので、担任は、誰かに言われるのを待つのではなく、自分で掃除リスト(学校で作成して掲示していた)を見てやるべきことを確認するとか、他の人にもこれやろうって声かけたりとか、そういうふうにしていかないと駄目なんだよと、班全体に対して指導した。(報告書33ページ)
中学校には「自主性神話」みたいなものがあります。
《もう小学生じゃないんだから自分で考えて行動しなさい》といった類の指導です。
実は、こうした指導が発達障害の生徒を困らせることになります。
続きを見てみましょう。
担任が、じゃあ明日からちゃんとやってねと述べて話を締めたあと、まだ班員が話を聞いている状態のときに、廣瀬爽彩が「先生、私何したらよかったんですか」と尋ねた。担任としては、廣瀬與彩自身が遊んでいたわけではなかったので他の班員とは状況が異なるという認識はあったものの、まだ皆もいる場だったので廣瀬実彩にだけ個別の話をすることはできないと考え、「それを自分で考えて欲しかったんだよね」と述べた。(報告書33ページ)
この担任の先生は勘違いをされています。
爽彩さんは自分が遊んでいなかったから尋ねたわけではありません。
担任の先生が具体的に話してくれなかったので確認したのです。
「ちゃんとやってね」や「自分で考えてね」という言葉はASDの子に対して不適切です。
具体的な言葉で話してもらわなければ伝わりません。
「伝わらない」だけではありません。
「不安」にさせます。
「ちゃんとやってね」と教師に言われたわけですから、ちゃんとやらなければならいことは伝わります。
しかし、何を・どうやることが、先生が意図する「ちゃんと」何かがわかりません。
ASDには真面目な子が多いので、「ちゃんと」やることに対して人一倍責任を感じます。
《ちゃんとやらなければいけない・安心できない》という心の状態に陥ります。
爽彩さんは、だから尋ねたのだと思います。
しかも、先生がまだ話をしている途中で尋ねています。
《人が話している途中でしゃべり出す》というのもASDの子の特性です。
これにも理由があります。
「不安」だからです。
「じゃあ明日からちゃんとやってね。」
「じゃあ」という教師の言葉も不適切です。
なお一層不安にさせます。
不安でたまらないから途中でも衝動的に口を挟むのです。
それくらい恐怖だということです。
それがASDを理解する基本です。
ここで次の疑問が生じます。
①担任の先生は爽彩さんが「ASD」であることを知っていなかったのか
②担任の先生は「ASDの特性」を理解していなかったのか
引継ぎでは、補足的ではあれ「ASDであること」は「共有された」と書かれています。
ですから担任の先生は爽彩さんがASDであることは知っていたはずです。
ということは②なのでしょう。
報告書には次の記述があります。
2019年度のE中1学年3クラスを担当する教員は、2名が新任であり、小学校からの引継ぎで要慎重対応と考えられる生徒は非新任教論が担任を務めるクラスに重点的に配置することとした。廣瀬爽彩については、前述の引継ぎを踏まえ、また、通常学級での入学であり他の生徒に比して特に要慎重対応と考えられたものでもなかったため、このクラスとは別のクラスに所属となった。(報告書25ページ)
この担任の先生は「新任」の先生でした。
教員経験があるのか、大学を卒業したばかりなのかはわかりません。
しかし、たとえ「大学を卒業したばかり」の先生であっても「不適切」でいいとは言えません。
発達障害に関する指導力はすべての教諭が持つべきスキルです。
一般の人が「教員」になるためには次の3つの過程をくぐらねばなりません。
(1)教員養成課程制度
(2)教員免許制度
(3)教員採用制度
その過程をくぐりぬけて教師になったのですから全員が一定のスキルを身につけているはずです。
主権者は、そう信じて子供を学校に託しているわけです。
《知りませんでした》では済まされない問題です。
それに対し廣瀬爽彩は、「いや私はそういうのわからないんです」と言い、そのまま走って教室を出て行った。(報告書34ページ)
これも重たい言葉です。
「私はそういうのわからないんです」ということは、自分で自分の特性を理解しているということです。
もっと言うと、過去にも同じようなつらい体験があったということです。
何度読んでもつらくなります。
しかし、この先生は責任感のある方でした。
素直に自分の至らなさを認め、行動をされています。
担任は、具体的な言葉で指導しなかったことで廣瀬爽影が「わからない」と感じてしまったものと考え、自分の言い方が悪かったと思い、母親に連絡して顛末を報告した。その際、 母親から、廣瀬実彩が母親に「なぜ怒られたのか周りはわかっていたのに自分がわかっていなかったのが辛かった」と述べていたとの話があった。これを受け、担任は翌4月23日、廣瀬爽彩に対し、昨日全体に指導したのは、どの生徒でも、何をすればよいかわからないのであれば何をすればよいかとまず聞いて欲しかったからだということを伝え、廣瀬爽彩の質問の意図を勘違いして嫌な思いをさせて申し訳なかったと謝り、今後はわからなかったらさりげなく聞いて欲しいと伝えた。(報告書34ページ)
中学校の先生が生徒に「申し訳なかった」と謝るというのは、なかなかできないことです。
素晴らしい先生だと思います。
「さりげなく聞いて欲しい」という手立てにも優しさが表れています。
ただ、これは推測ですが、多分、爽彩さん以外の周りにも《何をしたらいいのかわらない》と思った生徒はいたと思います。
学校の掃除指導というのはそんなに簡単なものではありません。
掃除リストが掲示されていたようですが、リストはシステムではありませんので結局は曖昧です。
中学校には、《小学生ではないんだから自主的に動くように》とう神話めいた指導方針があるものですが、
それよりも重要なのは《真面目な子に損をさせない》という指導です。
清掃指導は放っておくと「弱肉強食」になります。
一部の子がサボって、真面目な子が多くを負担する状況です。
そのような状況を生じさせないためには、①教師自身も掃除に参加する、②リストではなくシステムを作る、というのが基本です。
ですから、爽彩さんが指摘したように「具体的に伝える」というは、すべての子にとって優しい指導法になります。
これは「ユニバーサルデザイン」あるいは「インクルーシブ」とう考え方です。
「私はそういうのわからないんです」
爽彩さんのこの言葉はそのことを意味しています。

7.カミングアウトしたいという本人からの申し出を断ったこと
へと続きます。
また、以下の章もだいたい出来ています。
safety net5.就学前支援:「児童発達支援センター」の利用という視点
safety net6.就学時健康診断:「法改正」という視点
safety net7.小学校低学年での可能性:「在籍異動」という視点
safety net8.4年生での傷つき体験:「トラウマ」という視点
safety net9.カテゴリー診断の現状:「告知」という視点
safety net10.学校の役割:「生徒指導」という視点
safety net11.特別支援教育の現状:「2E(トゥーイー)」という視点
safety net12.忘れ物:「教室マルトリートメント」という視点
safety net13.宿題:「児童虐待」という視点
safety net15.特別支援教育の未発達:「インクルーシブ」という視点
safety net16.ネットリテラシーの必要性:「情報モラル教育」という視点
safety net17.地元メディアの功罪:「報道倫理」という視点
safety net18.日本の精神科医療の功罪:「非薬物療法」という視点
safety net19.いじめ防止の限界:「いじめ抑止」という視点
