講座505 旭川いじめ自殺事件「報告書」
事件の報告書が9月13日に公表された。
PDF367枚に及ぶ膨大な調査記録である。報告書全文
我が国の教育の欠点が浮き彫りになっている。
特別支援教育における「環境」も「理解」も、日本の教育は、悲しみを超えて怒りを覚える程に遅れている。
この事件の概要はウィキペディアに譲る。「旭川女子中学生いじめ凍死事件」(Wikipedia)
私は報告書の中から、書き留めておきたい部分を抜き出して記す。
抜粋や引用ではなく、要約的に抜き出すことになるのでご容赦いただきたい。
考えるところは様々あるが、今回は自分の中に書き留めるだけにする。
2.小学校入学~4年生まで
3.小学校5年生
4.小学校6年生
5.中学1年生
6.学校での悪口・陰口・避ける行動
7.校外での出来事
8.学期途中での引っ越し・転校
9.地元メディアが報道
10.中学2年生
注)この記事は、2024年9月13日に旭川市が公表した公開報告書に基づくものです。執筆にあたっては旭川市や爽彩さんのお母様からのご許可はいただいておりません。それは、官公庁が公表した文書というものが「一般に周知させることを目的として作成」されたものであるからです。「説明の材料として」「転載することができる」とありますから、公開の主意を汲むと、広く社会への理解に役立てることは適正な行為だと考えられます。本記事では、こうしたことを踏まえながら、爽彩さんの死が無駄にならないように、この事件が私たちに残した課題を深く慎重に捉え直し、よりよい社会の実現に向けて、できるだけ適切に記述していきたいと思います。(出典:著作権法第32条2項)
1.乳幼児期
廣瀬爽彩さん2006年9月5日出生
1歳半の時、両親が別居。
4歳になる年、離婚。母子家庭となる。
生後4カ月まで睡眠が極端に短く、毎日泣き続けていた。
3歳児健診で「言葉の理解力が弱い」と指摘される。
保育園への入園は「問題ない」とされる。
保育園では癇癪が多く、思い通りにならない時は声を上げていた。
3歳で平仮名を全部読むことができ、携帯メールの送受信もできた。
自分なりの物の命名の仕方や遊び方があり、こだわりの強さがあった。
就学時健診では特に問題点の指摘はなく、優秀だとほめられている。
2.小学校入学~4年生まで
通常学級。
1~2年生の時、「気になる子ども」のチェックリストに名前があがっていたが、それほど問題にはならなかった。
4年生の学芸会で担任が「騒いだ子」を叱る。
担任は「連帯責任」を持ち出す。
クラス全員が担任の所に謝りに行った際に、自分は騒いでいなかったという理由で、廣瀬さん一人だけが謝りに行かなかった。
この一件で《「連帯責任」の意味がわからないのがおかしい》との理由から発達検査を受ける。
WISCの結果「凸凹が著明でASDの特徴」と診断される。
医師から「将来的、性的な被害に遭う可能性がある」と指摘される。
エビリファイ服用開始1㎎からスタートし4㎎服用。
3.小学校5年生
5年生の二学期から特別支援学級(自閉情緒)へ転籍。
「自分は人と違う」「クラスに友だちはいない」などと認知。
母親への反抗・暴力が多くなる。
タブレットで見知らぬ人とやり取りをするようになる。
「死にたい」「生きてるのめんどくさい」「学校は行きたくないけど塾へは行く」
忘れ物が多くて叱られる。
医師と母親は、短期記憶が難しいのでメモを取ることを学校に伝えていたが、担任は教室のルールで「メモは禁止」にしていた。
メモ帳を持たせると手紙の回し合いをする子がいるからという理由だった。
4.小学校6年生
イライラが増える。
休み時間は読書をしたり、絵を描いたり、教師に話しかけたりして過ごすことが多い。
「1回でも宿題を忘れたらそのことは中学校へ出す資料に書かなければならない」という話がされていて、塾で帰宅が遅くなって宿題が出来ないと思った時にパニックとなり、二階の窓から外に出て、警察沙汰になる。
6年生の途中で中学受験を考えて通常学級に転籍する。
倍率が高く、希望の中学校には合格できなかった。
中学校での特別支援学級を拒む。
その理由は行きたい高校があったから。
特別支援学級だと5段階評価ではなくなり、志望校に行けなくなると考えての判断。
通常学級を希望することにする。
中学校との引き継ぎには、特別支援学級在籍児童の場合、「すくらむ」という個別の教育支援計画を引き継ぐことになっていたが、これは保護者が保管し、保護者から中学校に渡される仕組みになっていた。
しかし、廣瀬さんの場合、卒業時に通常学級在籍で、中学校でも通常学級になるため、学校は母親へ提示の指示をしなかったため支援計画の引き継ぎはなかった。
5.中学1年生
1年生は3クラスで、担任は新任2名にベテラン1名。
小学校からの引き継ぎで「要慎重対応」の生徒はベテラン教師が受け持つことになったが、廣瀬さんは新任のクラスになる。
廣瀬さんは、クラス役員に立候補したり、他の小学校から来た生徒にも積極的に話しかけるなど、意欲を持って中学校生活をスタートさせた。
その一方で、自分の特性について悩んでおり、クラスのみんなに自分の特性について説明したいので機会を設けて欲しいとし、そのための文章を作成した。
母親も協力し、かつて主治医から薦められた発達障害に関する本を購入し、親子で協力しながら作成した。
担任は副担任と相談して説明会を開くかどうか検討したが、
「このままだと単に自分はこういう人間だから気を使ってねというメッセージに聞こえる。もう少し書き方を変えてみようか。」と話した。
しかし、廣瀬さんは「この言い方以外考えられなかったんです」「これじゃなかったらもうありません」と言って、書いたものをその場ですべて消した。
6.学校での悪口・陰口・避ける行動
「障害者」
「あたおか(頭おかしい)」
「ガイジ(障害児)」
廣瀬さんに話しかけられると「あっ、ごめん」と言ってその場を去る。
みんなで「逃げるぞ!」といった行動。
女子のグループに近づくと「人数いっぱいだから」と言って断られる。
廣瀬さんの物真似、「私もう帰る」と言って出て行く真似をする。
当時の廣瀬さんの言葉。
「話しかけても話してくれないんだよね。何かしたかな」
「私気持ち悪いよね」
「だから避けられるんだよね」
7.校外での出来事
家庭ではオンラインゲームにはまり、深夜までおこなう。
ゲームを通して上級生との音声チャットも頻繁化。
LINEでのやり取りも頻繁化。
その中で6月3日にLINE上で裸の写真が拡散。
6月15日には公園でみんなが見ている前で自慰行為をさせられる。
6月22日。小学生も含めて公園でからかわれる。
どうしたら解放してくれるか尋ねたところ「死んだら解放してやる」と言われ、「もう死にます」と口にする。
それに対し周囲が「死ぬ気もねえのに死ぬとか言うんじゃねえよ」などと言う。
廣瀬さんはこの時のことを「最後にとどめを感じた」「オーバーキール」と表現している。
その後、川への入水を試みていたところ、見ていた近所の人が警察に通報。
同日、医療保護入院(隔離)。
定時処方としてアリピプラゾール6㎎、ロフラゼプ酸エチル2㎎、ほかに頓服薬を処方される。
薬の調整や隔離解除などを経て8月4日にZ病院を退院。
8月19日からは本人の希望で信頼していたX病院の受診を再開。
この時、X病院は「いじめによるPTSD」と判断し、当面は薬物で衝動性を抑え、成長してトラウマ治療が行えるようになったら、その治療を行うように考えていた。
8.学期途中での引っ越し・転校
二学期に引っ越し。転校。
その中学校では特別支援学級在籍となる。
前の学校でのことは他の生徒には知らせないで欲しいと要望。
エビリファイ6㎎、ビペリデン1錠を服用。
学校は全職員で次のことを共有。
・明るく、学習意欲が高く、人なつっこい。
・きまりを守って生活できる
・急な変更や曖昧な指示が苦手
・冗談や言葉のあやが通じない
・人との距離感がつかめない(近すぎる)
・指示は分かりやすく、はっきりとするように
・「ごめんなさい」や「ありがとう」を言い出せない場面では教師が促してあげること
・パニックがあったらインターホンで連絡を
特別支援学級では比較的安定。
「みんな何か持っているからお互い理解できるし楽しいが、交流学級ではまだ人間関係ができておらず息が詰まる」と特別支援学級の担任に話す。
「母親からの愛情不足」「愛着障害では」との意見が市教委課長補佐から出される。
9.地元メディアが報道
9月13日。地元月刊誌に前の学校での事件が掲載される。
学校は職員間で対応を協議。
保護者から聞かれた場合は「一切知らない」「分からない」を貫くことに。
しかし、廣瀬さんは「交流学級の男子に何か言われるんじゃないか」「前の学校と同じになるんじゃないか」と不安になる。
二学期後半から欠席が目立つようになる。
10月受診。「月刊誌のことで友達にいろいろ聞かれる」と漏らす。
11月受診。不眠の訴え。日時の感覚がバラバラ。ゲーム仲間が心のよりどころ。
12月2日受診。「薬は嫌だがやめると皆を傷つけるから飲む」「誰を信じてよいかわからない」と漏らす。
12月16日。担任が母親と面談。「恐怖で学校に行けない」と言う。
12月23日の受診で「人に見られるとビリっとなる」「明日が来るのが怖い」
クエチアビン1錠12.5㎎、ベルソラム10㎎を追加処方。
三学期も不登校が続く。
母親と弁護士による「いじめ」の聴取が行われる。
3月。コロナによる一斉休校。ほぼゲーム。
10.中学2年生
2年生になり特別支援学級の担任が代わる。
「前の先生と気が合っていたので悲しい」と漏らす。
不登校状態が続く。ほぼゲームの生活。
5月31日までコロナの一斉休校。
6月9日受診。エビリファイ9㎎に。
6月11日の担任の記録。「薬を変更してからボーっとすることが多くなり体調が良くない。」
二学期も不登校が続く。
10月27日受診。ネットで一日中誰かとしゃべっている。気分は不安定で妄想的。リスペリドン1錠2㎎を追加。
11月10日受診。薬を変更してもそれほど変わらない。荒れることや「死にたい」と思うことはなくなったが長時間眠れない。リスペリドンを3㎎に増量。
12月29日受診。特に何もしていない。春になってしたいこともあまりない。絵を描いているがうまくいかない。
三学期も登校できない。
1月26日受診。髪を垂らして顔が見えない状態。医師の問いかけにも「何もありません」。
2月13日、氷点下17度の夜に突然家を飛び出して行方不明となる。
彼女は3月23日になって公園で凍死体として発見された。
2006年9月5日出生。2021年2月13日逝去。当時14歳。
彼女の死を防ぐことが出来た箇所はいくつもある。
そのことを引き継いでいかねばならない。
この事件は、なぜ、見知らぬ人と簡単に深い付き合いになったのか疑問でした。今回の記事で、被害者の方がASD の診断を受けていた知り、なるほどと思いました。行間を読むのが苦手だったんだな、からかいや皮肉、言葉の裏のメッセージが理解できなかったのだなと。
彼女の特性を周りが理解し、支援できていたらと感じる事件ですね。悲しいです。
たしか、軽度知的障害の方が、自宅で死産した赤ちゃんを死体遺棄してしまった事件もありましたよね。こちらも、支援が行き届いていたら防げた事件かもしれませんね。
報道では、背景について詳しく述べないことがあるので、知ることができて良かったです。
そうなんです。
防ぐことは可能だったと思います。
次回は、この事件から学ばなければならないことについて書いてみたいと思います。