講座285 「子育て」と教育基本法

国の政治家のことを「国会議員」と言います。

国会議員の仕事にはいくつかありますが、その一つが「法律をつくること」です。

今回は、「子育て」に関して日本で一番重要な法律について解説します。

 目 次
1.「家庭教育」が存在しなかった日本
2.「子育ての憲法」
3.「基本法」の力
4.家庭教育以外では
5.まとめ

1.「家庭教育」が存在しなかった日本

教育には3つの領域があります。

家庭教育と学校教育と社会教育です。

家庭教育と学校教育はわかりますよね。

社会教育というのは「学校・家庭以外の広く社会で行われる教育」のことで、

地域のスポーツ少年団活動とか、公民館が主催する文化活動など様々あります。

学習塾など民間の教育機関もここに当てはめてもいいと考えます。

このように「教育」には、この三つの種類があるのですが、驚くことに、

戦後の日本の法律には平成18年(2006年)になるまで「家庭教育」が存在しませんでした。

昭和21年に公布された日本国憲法には「家庭」という言葉が一箇所も出てきません(今も)。

”教育の憲法”と言われる教育基本法にも「家庭」「家庭教育」という言葉がありませんでした。

日本では59年間も長い間「家庭教育」が法に位置づいていなかったのです。

世界を見ると、昭和23年(1948年)に「世界人権宣言」が採択されています。

世界人権宣言】第十六条
家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する。

これが世界標準です。

しかし、日本では、この当たり前のことが長い間、政治の世界から抜け落ちたままでした。

2.「子育ての憲法」

この不備を正したのが平成18年12月15日に開かれた第165回臨時国会です。

時の総理大臣は安倍晋三さんでした。

改正・教育基本法は安倍さんが最初に取り組んだ大仕事です。

この時に初めて日本の法律に「家庭教育」が位置づいたのです。

旧・基本法と新(現)・基本法を比べてみましょう。

旧・基本法には「家庭教育」に関する条文がありませんでした。

それが右側のように明記されたわけです。

内容は大きく2つ。

(1)教育の「第一義的責任」は家庭にある

(2)自治体は家庭教育を尊重しつつ支援をするよう努める

これでやっと日本は世界の流れに追いつきました。

家庭教育が加わったことによって、日本に初めて”子育ての憲法”が整備されたと言っていいでしょう。

「児童の権利条約」って聞いたことがありますか?

1989年(平成元年)に国連で採択された「子どもの権利を尊重しよう」という考え方です。

日本は平成6年(1994年)に批准(同意)だけはしていましたが、具体的には何もできないままでした。

日本の法律に「家庭教育」が無かったからです。

しかし、教育基本法の改正によって「児童の権利条約」に盛り込まれた内容を日本でも法律に位置付けることができました。

実は、教育基本法にある「第一義的責任」という言葉は「児童の権利条約」から来ているのです。

【児童の権利条約】第18条
締約国は、児童の養育及び発達について父母が共同の責任を有するという原則についての認識を確保するために最善の努力を払う。父母又は場合により法定保護者は、児童の養育及び発達についての第一義的な責任を有する。児童の最善の利益は、これらの者の基本的な関心事項となるものとする。

ここはとても重要なところです。

「第一義的責任」が父母の「共同の責任」であるのは世界標準なのです。

以前に「特定妊婦」について解説しましたが、男性が養育を放棄する(逃げる)というケースが日本社会で増えています。

また、日本では子どもの数が減っているのに、児童虐待の件数は上昇を続けています。

「共同の責任」ではなく、現実は女性の自己責任になってしまっているケースが少なくないのです。

「母子への支援」が急務です。

教育基本法をもとに具体的な支援がまだまだ必要な状況です。

3.「基本法」の力

「基本法」というのは理念ですから、成立しただけでは何も変わりません。

しかし、この基本法が成立したおかげで、具体的な法律がつくられることになります。

たとえば、平成21年の「児童福祉法」改正と、平成28年の「児童福祉法」改正があります。

今ではみなさんにとって当たり前になってしまったかも知れませんが、

乳児のいる家庭への訪問事業や里親制度の拡充などは平成21年の「児童福祉法」改正によるものです。

今では信じられないかも知れませんが、それ以前は「支援が必要な子は施設へ」という考え方が主流でした。

それが平成21年の改正によって「子どもは家庭で育てよう」「困難であれば家庭を支援しよう」という考え方に転換されたのです。

これが「子育て支援」という考え方の始まりです。

このような転換がどうして実現できたのかというと、

これも「家庭教育」という領域が法の中に出来たからです。

第一義的責任が家庭にあるのだから、まず家庭を支援しようという考え方です。

更に、平成28年の改正では、児童虐待の防止強化と母子健康包括支援センターの全国展開が始まりました。

これらも「子育て支援」の考え方が基本になっています。

しかし、いつの頃からか、「子育て支援」と言うと「お金による支援」というイメージが強くなってしまったように感じます(私だけでしょうか?)。

でも、本来は、経済的な支援が本質ではなく、家庭の教育力(子どもを育てる力)を支援することだったはずです。

お金は与えるのが簡単ですが、使ったら無くなります。

教育力はお金では買えませんが、一度手に入れたら無くなることはありません。持続可能です。

教育基本法・第10条(家庭教育)をもう一度読んでみてください。

国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない。

「支援するために必要な施策」は3つあります。

①保護者に対する学習の機会の提供
②保護者に対する情報の提供
③その他

①と②こそ「子育て支援」の本質だと私は思うのです。

4.家庭教育以外では

家庭教育(第10条)以外の条文を見ていきましょう。

まずは第4条(教育の機会均等)です。

第4条のポイント:障害者に対する教育上必要な支援の義務化

これも考えられないことですが、旧法には障害者に対する記載が無かったのです。

この条文が出来たことによって、学校教育や社会教育の場で、障害者に対する支援を具体的に施して行くことができるようになりました。

基本法は理念ですから、直接の影響を示すことはできませんが、

関連する法律としては、平成23年の「障害者虐待防止法」の制定、平成24年の「障害者総合支援法」の制定、平成28年の「障害者差別解消法」の施行などがあります。

今後も必要な措置を施す時の根拠となるわけです。

次に第5条(義務教育)です。

第5条のポイント:義務教育の目的の明確化

【講座276】 0~3歳児が生きる将来の日本 の中で書きましたが、日本の未来は「大変」です。

GDPの成長率は低迷を続け、少子高齢化がますます進みます。

「国民一人」に対する負担と期待が今より大きくなります。

これからの大人(現在の子どもたち)には、国を支える高い生産性が求められています。

昭和の時代は、同質の勤勉性が国を支えていましたが時代は変わりました。

現在は、みんなが一律に同じ能力を持っているのではなく、個性と創造力を活かして社会で活躍する人材が求められています。

第5条には、その未来を見越したかのように新しい条項が加えられたわけです。

今後、学校も変わっていく可能性があります。

第6条(学校教育)です。

第6条のポイント:個別最適化と学習意欲の重視

平成18年の時点でこの道筋が示されていたことに驚きます。

今まさに、タブレットなどを利用したICT教育が個別最適化を実現しつつあります。

学習意欲を失わせるような授業や宿題は世間から批判されるようになってきました。

この教育基本法に基づいて学習指導要領や受験の仕組みなども見直されるようになるかも知れません。

第9条(教員)は新設された条項です。

第9条のポイント:教員は絶えず学ぶべき。養成は研修を充実させるべき。

身分が尊重される所は変わりませんが、そのかわり「絶えず勉強しろ」という風になりました。

見逃してはならないのは2つ目です。

「養成」つまり「教員養成」に当たっても研修を充実させるべきだと書かれています。

教員養成制度は大学での実習のあり方も教員採用試験のあり方も不十分なままです。

自動車運転免許を取得するためには教習所で「運転の仕方」を手取り足取り習います。

でも、教員免許は「授業の仕方」を身につけていなくても免許がもらえます。

その背景は単純です。

自動車学校の指導教官は運転をして見せることができるからです。

しかし、教員養成大学の指導教官は「授業をやって見せる」ということが(ほとんどの人は)できません。

ですから、ほとんどの教員は「授業の仕方」を持たないまま「新卒の4月」を迎えます。

そして、連休明けの5月には学級が荒れます。

私もそうでした。

そりゃそうです。

刀を持たずに丸腰で戦場に送り出されたようなものですから。

今もこの状況は変わっていませんが、そのままではいけないということが教育基本法に盛り込まれました。

具体的な法律がつくられるように声を届ける必要があるところです。

第11条(幼児教育)も新設です。

第11条のポイント:幼児期の大切さが法律に位置付けられた

ジュームズ・ヘックマンの『幼児教育の経済学』が出版されたのは2015年です。

それ以前に、幼児教育の大切を法律に位置付けたというのは画期的なことだと思います。

今では、幼児期の教育が、「子ども」に、そして「社会」に影響することが明らかになっています。

詳しくは、講座211 どんな子どもが「幸せ」になるか① に書きました。

この部分はまだまだ具体化できる部分があるので、大きく期待すべきだと思います。

最後に、第13条(学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力)を見てみましょう。

第13条のポイント:学校だけではやっていけない。

学校の仕事が膨れ上がっているのは周知の通りです。

それを助けるために「コミュニティスクール構想」などが始まりました。

それは第13条を具体化させた一つの試みだと思います。

今後も様々な連携協力が生まれると思います。

部活動が地域に移るかもしれませんし、学習塾が学校と連携するかも知れません、

不登校児童のフリースクールが出席扱いを獲得する動きが広がる可能性もありますし、

オンライン授業が授業時数にカウントされる日も来るかも知れません。

いずれにしても学校の役割は縮小していくと考えられます。

家庭教育を第一義としながら、学校教育と社会教育の三者が相互に連携協力するのが今後の理想になるでしょう。

その根拠がここに示されているというわけです。

5.まとめ

こうしてみると教育基本法の偉大さを改めて感じます。

そして、このような法律をつくる仕事が政治家の仕事だということを忘れないでおきましょう。

政治家と言えば、メディアによって悪いイメージが強調されがちですが、

本来は、国会でたくさんの法律をつくっています。

直近で言えば、第208回の通常国会(令和4年1月17日~6月15日)においては、

内閣が提出した法案は61案あって61件が成立、議員が提出した法案は97案あって17件が成立。

合計78件の法案が成立しています。(詳しくは「内閣法制局」が公開しています)

その法律に「賛成/反対」という議論は必要です。

でも、「賛成する者」と「反対する者」は同志であるべきです。

賛成と反対を含めて社会は前進して行くからです。

与党が絶対正しいわけでもなければ、野党が絶対正しいわけでもない。

とりあえず議論して法律を決める。

駄目なら直す。

同時代に生きる人間はそうやってそれぞれの立場で役割を持って行動しているわけです。

人類の歴史はまだまだ続くでしょう。

でも、その長い人類の歴史の中で同時代に生きたという偶然は、

「地球上のすべての人間に『今』という共同作業が与えられている」ということです。

賛成する側も、反対する側も、その共同作業の一員です。

国会議員を選ぶ側の私たちもその一員です。

 選ぶ・話し合う

この共同作業が「民主主義」です。

今回は、国会議員の仕事である「法律をつくること」が、

私たちの生活にどのように影響しているのかについて、教育基本法を例にして解説しました。

安倍晋三さんのご冥福を心よりお祈りするとともに、

「子育ての憲法」である教育基本法を無駄にすることなく、

「親によし!子によし!世の中によし!」の社会を実現すべく私も微力を尽くします。

この記事に投げ銭!

水野 正司

子育て応援クリエイター:「人によし!」「自分によし!」「世の中によし!」の【win-win-win】になる活動を創造しています。

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