講座225 学校教育の近未来・その1
乙武洋匡さんと成田悠輔さんの対談がとても興味深ったので紹介させていただきます。
2.「学校」を選ぶ必要はない?
3.「教師の質」という要素
4.教師の質とのマッチング
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1.進学校と普通校に「教育効果の差」はあるのか?
成田悠輔さんは最近ネットで人気ですね!
イェール大学助教授です。
肩書はいろいろあるようですが、私にとって重要なのは「教育研究者」という点です。
どんな研究をされているか。
これが興味深いんです。
政府や行政からの依頼で教育政策の効果についてエビデンスをとる仕事もされていて、
通常は非公開の情報(子どもや教師や学校などの)ももらってデータ分析をされるわけです。
たとえば、
「有名大学に進んだ人」と「普通の大学に進んだ人」で幸福度に違いはあるのか?
「企業が設立した先進的な学校」と「普通の公立学校」で子どもに与える影響に違いはあるのか?
そういう疑問に対してデータをもとに答えを提供されているそうです。
対談を解釈した結果ですが、
差はない
というのが私の印象です。
有名な学校に通った人が幸せなのは、その学校に行ったからではなく、
学校に行く前から能力が高かったのではないか?
という単純な疑問が生まれて来るということです。
そこで、アメリカでは次のような研究も行ったそうです。
同程度の能力を持った子に対して、
一方はエリート高校、一方は普通の公立高校に通った場合で比較したそうです。
つまり、高校に行く前の条件はほぼ同じ子で比べたわけです。
その結果も、差はない。
そうなると結論として、あまり大きな声では言えませんが、
進学校に進む意味はない
ということになりますよね。
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2.「学校」を選ぶ必要はない?
どの学校に行くかには大した意味はない。
となれば、どんな要素に意味があるのか?
話はそうなります。
そうなるとですね。
学校名(ブランド名)以外の様々な要素が重要になってくるという「目」を持つ必要があるわけです。
たとえば、
誰々ちゃんと一緒に行けるとか、
歩く距離がちょうどいいとか、
吹奏楽部があるかどうかとか、
どんなタブレットを使っているのかとか、
宿題が多いか少ないかとか、
要するに「我が子」を軸にしたマッチングもあるだろうし、
学校名(=学歴)以外の様々な教育環境が実は人生に大きな影響を与えるかもしれないという要素もある。
まあ、そういうことですね。
ここまでで押さえておきたいのは、
もはや学歴社会ではない
という点でしょうか。
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3.「教師の質」という要素
その中で、ひとつエビデンスのはっきり出ている要素が「教師の質」です。
つまり、どんな先生に当たるかによって子どもの結果は変わるということです。
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「図ると」というのはデータをとってエビデンスを調べると有意差があるということです。
学力で言えば、
同程度のレベルのクラスで比較実験した場合、
教える能力の高い先生とそうではない先生の場合では、
わすか一年間で「クラスの偏差値が5~10違う」という結果が出ているといいます。
この差は大きいですよ。
この数値の陰には、
勉強が苦手だった子が激変するドラマや、
今までフツ―だった子が勉強得意になって人生が変わるとか、
そういう事実が含まれていただろうという推測が成り立ちます。
しかも、研究者の間では、そういう事実が「知られている」と成田さんは説明します。
「知られている」です。
知られていますか?日本で?
残念ながら日本では、どの先生が担任しても差が出ないように、
一年ごとに担任を変えたり、
変な管理職の先生が同じ学校に長く居続けないように二年で転勤させたり、
能力が顕在化しないような工夫をすることに力を入れているようにしか見えません。
一方アメリカでは、教員の「付加価値」がデータ化されていて、
新聞で公表されている所もあるそうです。
この先生は「授業のうまい先生」ということが公開されている。
簡単に言うとそういうことですね。
まあ日本ではあり得ないことですね。
日本でも一時期、教員の給与制度を能力別にしようとする動きがありました。
しかし、結果は能力差が見えないような評価制度に落ち着いています。
そうなるともう「善意」や「志」しかありません。
その先生が如何に善意で勉強しているか。
志を高くして職務に励んでいるか。
給与以外の偶然に期待するしかありません。
それが日本の現状です。
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4.教師の質とのマッチング
こういう話は日本の教育界でも何年も前からされていました(話だけ)。
しかし、この対談の凄いのはここから先です。
乙武さんの次の質問もよかったです!
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偏差値50の子を55に上げる力を持った先生でも、
65の子を70に上げる力はないかも知れない?
そうなんです。
勉強の苦手な子をできるようにさせるのが得意な先生もいれば、
学力が高い子をもっと高くする能力に優れた先生もいます。
適材適所なんですね。
しかし、そういうシステムが日本の学校制度にはありません。
だから教師個人が自分で努力するしかありません。
発達障害についてもめっちゃ勉強しなければなりませんし、
OECD生徒の学習到達度調査(PISA) の問題にも精通していなければならない。
すべての子のニーズを満たす力が日本の教師には求められています。
動画のテロップには「それぞれの環境によって必要な教育が違う可能性がある」と表示されていますが、これは、
その子が、
どういう先生に教わるのが一番いいのか?
というマッチングまでを考えた方がいいのではないかという話なのです。
もう、海外ではそういう教育が増えていると言います。
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日本では「学校がブラック」とか「働き方改革が必要だ」とかいろいろ言われていますが、
それはそもそも「一人の先生にオールラウンドですべて任せている」という現状があるからだと思います。
私は10年以上前に中国の上海の小学校を訪問しましたが、
中国では「授業をする先生」と「学級事務をする先生」が別でした。
これだけでも教師にとってはどんなに楽なことか!
日本はこれすら出来ていない。
それどころか、子どもの発達ニーズに合わせた教育が動き始めている世界の潮流にも
乗って行けていない。
そりゃあ問題が頻発するでしょう。
学校内でも、社会に出てからも。
次回もこの対談の続きを解説させていただきます。
日本の学校のクラス替えは、基本的にトラブルにならない、学力が平均的になるように、運動能力が平均的になるようになど、すべては「平均」で考えられています。
自分に合うレベルを選ぶという自由も必要な時代になってくるのかなと思いました。
マッチングって、とても良い考えだと思いました。
戦前まであった「若者組」「子供組」といった異年齢集団の復活が理想的ですが時代に合わない部分があるので、児童館などの組織がその役割を果たすのが良いのかなと思っています。
いずれにしても現在は学校が抱え込み過ぎだと思っています。