講座109 学校の先生の「普通の一日」【解説編④】席に着かせる
2.教科書の準備
3.始まりのあいさつ
まずは上の動画をご覧ください。約15秒です。
1.教科書を使える先生!
さあ、2時間目算数の授業です。
みなさんは参観日などで算数の授業を参観したことがありますか?
その授業は算数の教科書を使っていましたか?
私の師匠の向山洋一先生は次のように言っています。
算数の教科書を使って授業ができる先生は1000人に1人くらいしかいない。
「えっ?」って驚かれるかも知れませんが、これが学校教育の現実です。
なぜなら、「教科書の使い方」というものを学校の先生は教えてもらった経験がないからです。
教員採用試験には、そんな問題は出題されません。
大学でも習いません。
生まれてから一度も「教科書の使い方」なんて習ったことがない。
その存在さえも知らない。
だから、自分が子どもの頃に経験した程度の知識しか持ち合わせていないのです。
多くの先生がそうなんです。
でも、この先生はその「1000人に1人」の中の1人です。
さあ、どのように使うのか見てみましょう。
2.教科書の準備
まずは「教科書の準備」です。
この写真を見てください。
机の上に、教科書、ノート、ミニ定規、鉛筆などが揃えて置いてありますね。
これは1時間目が終わったあとの小休憩(5分休み)の場面です。
つまり、「次の授業の準備が整っている」ということです。
でも、動画ではどうでしたか?
他の子の机の上もこのように整っていましたか。
実は、整っていないんです。
机の上に何も載っていないいない子が普通にいます。
しかも、席から離れて立ち歩いていましたよね。
ここから何がわかるかというと、
①「次の授業の準備をしてから休憩に入りましょう」ということを強制していない
ということがわかります。
これまた「えっ?」となるかも知れませんが、
そういうルールは無い方がいいんです。
そういうルールを作ってしまうと、ルールですから「守らせなければならない」ということになります。
これは若い先生に多いのですが、ルールを守れない子を許せないので、
授業の前に「お説教」をします。
「先生、授業しようと思ったけど、このままじゃやれないわ」とか言って起こります。
授業の最初の5分とか10分を使ってお説教です。
当然、その後の授業の空気はピリピリします。
こうやって授業は、楽しいものじゃなくなります。
「若い先生に多い」と書きましたが、それには理由もあります。
若い先生は熱心です。それにまじめです。
大学を出て来て採用試験にも合格したくらいですから優等生です。
子どもの頃は「ルールを守って来た派」ということが多くなります。
いい事だと思ってルールを作って守らせようとしちゃうんです。
それが教育だと思ってしまうのでしょう。
そうやって算数の授業がお説教になってしまうわけです。
念のために書いておきますが、ルールを作ったなら、そのルールは守らせなければなりません。
そうじゃないと学級は荒れます。無法地帯になります。
でも、「次の授業の準備をしてから休み時間に入る」というのは結構大変なんです。
授業が終わった瞬間に「終わったぜ!」と立ち上がる子がいて普通です。
そういう行動を抑えさせてまでルールが必要なのか。
よく考えてみると、教科書を机の上に準備させるのは、次の授業にすぐ入れるようにするためですよね。
それなのに、ルールがあるために授業時間がつぶれてしまう。
そういう泥沼にはまって一年が過ぎてしまうという経験が、ある程度の年数を経験すればわかってくるはずなんです。
でも若い先生は分からない。
そういうケースが多いわけです。
でも、こうやって準備している子もいます。
ルールがなくてもやっているわけです。
これはこれで立派です。
また、念のために書きますが、
このように机の上に準備しておくといいですよというお手本を示す必要はあります。
これは「教える」「手本を示す」という教師の、あるいは学校の務めです。
やっている子は立派だし、それこそすぐに授業に入ることができるので便利です。
ただ、それを全員に強制するにはリスクがありますし、
教育には「あそび」「ゆるさ」といったものも必要だということなんです。
3.始まりのあいさつ
②授業の始まりのあいさつをしていない
多くの先生は授業のはじめにあいさつをさせるのではないでしょうか。
日直が「起立!」と言って、
「これから2時間目の算数の授業を始めます」と言ったら、
全員で「はじめ、まーす」と言ったりするケースです。
保護者の方々はこのことに疑問を持ちませんか?
この「授業開始のあいさつ」という行為にはどのような意味があるのでしょう。
朝と帰りのあいさつなら、わかります。
「おはようございます」と「さようなら」ですよね。
この二つは社会的にみて常識だと思うのですが、
「授業開始のあいさつ」は意味不明ですよね。
そもそもこれは「あいさつ」なのか?
実はここにも、さきほどの「教科書の準備」と同じ問題があるのです。
想像してみてください。
日直にあいさつをさせる時って、教室はどういう状況だと思いますか?
日直は、全員が席に着いてるのを確認してから「あいさつ」を始めませんでしたか?
まだ座っていない子があわてるだけならまだいい方です。
「○○!早くすわれー!」などと子ども同士で注意し合ったりしませんでしたか?
この場面は「空白」です。
「空白」というのは、
準備の出来ている子が待たされる状態
です。
ちゃんとしている子が「待たされる」のです。
これ、おかしくないですか?
本来なら、ちゃんと準備している子が得をしなければなりませんよね。
それが世の中の常識ですよね。
ところが学校は逆です。
ちゃんとしている子が損をするシステムがたくさんあります。
グラウンドで運動会の練習をしている時に土をいじって話を聞いていなかった子が叱られる場面を経験したことがありませんか?
これも同じです。「空白」です。
話を聞いていた子が待たされます。嫌な空気を味わいます。
学校にはこうした、子どもたちのやる気を削ぐ、子どもたち同士を差別するシステムがたくさん存在します。
集団教育ですから仕方ありません。
でも、それをなるべく無くす工夫は必要ですよね。
我が子が「待たされる側の子」であっても、「待たせる側の子」であっても嫌ですよね。
「授業の始まりのあいさつをしない」というのは、そういった差別を無くすための工夫の一つなんです。
この先生は「空白」を作らずに授業を始めました。
初めは立ち歩いている子がいましたが、写真の時点では全員が着席しています。
ここまでにかかった時間は「9秒」です。
「空白」はありません(先生は一切待っていません)。
日直にあいさつをさせた場合ですと、スムーズに行ったとしても12秒くらいかかるはずです。
誰かを待ったり、やり直しさせられたりしたらもっとかかります。
そして「空白」は必ず生まれます(先生も子どもも待ちます)。
本当はもっと進みたかったのですが、「着席」だけで長くかかりました。
次回は「教科書を開かせる」ところまで解説したいと思います。
授業前後のあいさつをしない理由に
待たせる子、待たさせる子にしない
という理由は考えたことがなかったです。
新しい視点をありがとうございます
ありがとうございます。
これからさらに深掘りします!