講座104 「退屈」は子どもの成長にマイナス
あれだけ意欲的だった小学校1年生が6年間のうちに勉強嫌いになってしまう要因は何か?
という記事を講座99で書きました。
今回はその続編です。
別に恨みがあるわけではないのですが(あるかな?)、子どもたちにとって、この「空白」「退屈」というのは、
本当に、ダメなんです。
成長を「止める」だけでなく、成長することを「嫌い」にさせてしまいます。
勉強や学校を嫌いにさせてしまう要因です。
子どもを「子どもらしく」「素直に」「知的好奇心を失わせないで」育てるキーワードは、
空白禁止
です。
今回はこのことについて深掘りしていきます。
2.「空白」ってどのくらい?
3.教育にとって大切なこと
4.勉強嫌いになってしまう要因
5.まとめ
1.小学校一年生H君の報告
5月12日のことです。学校から帰って来たH君は、突然お母さんに話し始めました。
「今日はみんな数字書くのすごく遅かったんだよな〜」
「丁寧に書いたけど結構みんなが終わるまで待ったんだよね〜」
この状況をイメージできますか?
算数で数字を書く授業だったのですね。
先生は「ていねいに書くんですよ」と言ったのでしょう。
だからH君は丁寧に書きました。そして、完成しました。(書けた!)
だけど、みんなはまだ書き終わっていない。
これが授業における「空白」です。
H君は仕方なく「待つ(待たされる)」ことになります。
この空白を放置しておくと学級は騒がしくなります。
あちこちで「終わってしまった」子が出て来て、おしゃべりが始まり、やがて騒然となる。
そこで先生が怒鳴る。
「静かにしなさい!」「まだやっている人がいるでしょ!」
この対応に点数をつけるとすれば「-100点」ですね。
空白が生じるのは教師の責任です。
例① 書く数字を数を減らし、「1,2,3」まで書かせるなら空白は少なくなりますよね。
例② 早く終わった子に「終わったら何をやるか」あらかじめ言っておけば空白はなくなりますよね。
そういった工夫がゼロだったのでまず「0点」。
そして、それなのに怒鳴ってしまった。
この「怒鳴る」いうのは「先生は悪くないぞ。うるさくしているお前たちが悪いんだ」という感情です。
先生は自分の責任を自覚されていないんですね。ここで-50点。
また、怒鳴るという手段は子どもの脳を傷つけますから-50点。
よって「-100点」です。
2.「空白」ってどのくらい?
H君の先生は怒鳴ってなんかいません。
いいところがあります。
まず、ていねいに書くことを事前に伝えていたと思われるので、プラス5点。
もう一つあります。
お母さんはH君に次のように聞いています。
母「終わったらやることないの?」
H「良い姿勢で待つ!」
先生は事前に終わったあとにすることを示していたのですね。ここも、プラス5点。
でも、どうして5点だけかと言いますと、いつまでも「良い姿勢」で待つのって大変ですよね。
こういう指示を毎回毎回使っていたら、言うことを聞かない子が出て来ます。やがて騒然となる可能性が高い。
「待つだけ」というのは非知性的な活動です。授業ですから何らかの知的な活動をさせたいですね。
ただ、このままでうまくやる方法がないわけではありません。
「良い姿勢」になっている子を先生が見つけていって、
「はい、○○さん、いい姿勢!読書していてください」と次々と確認していくというやり方もあるでしょう。
これだったら、「良い姿勢=できましたという合図」になっているわけですから、いつまでも「良い姿勢」で待たせる方法とは思想が違います。
以上は例です。
ここで強調したいのは次のことです。
授業における「空白」というのはこの程度の時間を言うのです。
早く書けた子がちょっと待ってる。
「そのちょっと」を教師の世界では「空白」と呼びます。
そして、「空白禁止」というのが授業における原則になっているのです。
3.教育にとって大切なこと
私の師である向山洋一先生は次のように主張されています。
教育にとって技術は、小さいものです。どれだけ名人・達人の域になっても、技術が占める割合は7%か8%でしょう。『新訂・教育技術入門』
「早く終わった子には姿勢を良くさせる」というのは一つの教育技術です。
やろうと思えば、新卒の先生もすぐ真似できます。
しかし、その技術を「使いこなす」となったら、話はまた別になってくるわけです。
では、何が大切なのでしょうか。たとえば「愛だ」という人がいます。でも、教育にとって、「愛」も大切ですが、やはり7%、8%ぐらいだと思います。(前掲著)
「早く終わった子には姿勢を良くさせる」という技術を使わずに、怒鳴りもせずに、ただただ愛情だけで子どもたちを包み込もうとしたらどうなるでしょう。
現実の教室は荒れます。早く終わった子は何をしていいのかわかりませんので騒ぎます。
先生はその騒ぎを一カ所ずつ収めるために、慌ただしくなります。言葉数が多くなります。
愛情だけで教育は成り立ちません。まして、複数の子どもたちが相手ならなおさら困難です。
では、教育にとって大切なこととは何か。
向山先生は次の三つだとしています。(前掲著)
【A】自ら伸びる子どもの力に依拠する
【B】伸びる力を更に伸ばす
【C】けっして伸びる力をそがない
小学校一年生なら「伸びる力満タン」ですよね。
「終わった人は良い姿勢になりましょう」って言えば、みんな良い姿勢になります。
この時、子どもたちは「先生!見て!見て!」「良い姿勢できたよ!」と目いっぱい教師に目線を送っていることでしょう。
教師はその目線を一人ずつ受けてあげます。「○○君、すごい!」「はい読書しててごらん」
いつまでもやらせたらダメですよね。「力をそぐ」ことになってしまいます。
授業において「空白」がダメなのは、この「力をそぐ」になってしまうからです。
教訓①:空白は子どもの伸びる力をそぐ。
教訓②:大人は決して子どもの伸びる力をそぐべきではない。
4.勉強嫌いになってしまう要因
あれだけ意欲的だった小学校1年生が6年間のうちに勉強嫌いになってしまう要因は何か?
私は今でも、ある中学生の姿が忘れられません。
中学校一年生になっての最初の中間テストです。
テスト用紙が配られた時に、その生徒は自分の名前を書いた途端に机に突っ伏して寝てしまいました。
この中学一年生の姿が「6年間の結果」だとしたら、どうしてこうなってしまったかということです。
その答えを知っていないと、同じことが繰り返されます。
空白
小学校一年生は勉強に対する「やる気」に充ちています。
その「伸びる力」をそいでしまうのが「空白」です。
空白には2種類あります。
①難し過ぎてやる気がなくなる空白
②やることが終わって退屈になる空白
ゲームがなぜ楽しいかというと、この二つの空白がないからです。
文化人類学者のチクセントミハイは「ゲームがなぜ楽しいか」を次のように分析しています。
達成する能力を必要とする明確な課題に注意を集中している時、人は最高の気分を味わう。
簡単に言いますと、自分の能力を精一杯使って何とかやれそうな活動に取り組んで成功を手にすると最高の気分、ということです。
もっと簡単に言いますと、「ギリギリでやり遂げた時って最高に楽しい」ということです。
チクセントミハイはこれを「フロー体験」と呼んでいます。
シンプルに「熱中体験」と呼んでも構わないでしょう。
H君の話を例にとると、「習った数字をていねいに書く」という課題は一年生のH君にとってちょうどいい(頑張れば出来る)課題だったのでしょう。「ていねいに」というところが挑戦意欲を搔き立てたのかもしれません。
これは一種のフロー体験です。わずか数秒間の熱中時間だったかも知れませんが「教育」が成立しています。
しかし、もしこのあとに「空白(退屈)」がセットでくっついて来ると、
せっかくの熱中体験が「つまんない体験」に変わってしまいます。
だから「空白」はダメなのです。
「空白禁止」は授業の大原則なのです。
ハーバード大学の人気講師、タル・ベン・シャハ-は主張します。
人間はそもそも、学ぶことを喜ぶようにできています。向学心は、私たちが生まれながらにして持つ能力なのです。幼い子供たちを見てください。彼らはいつも質問をしています。周囲の世界について、より多くのことを、いつも意欲的に知りたがっています。『HAPPIR』
子供たちが今いちばんに必要としているのは、彼らに学びたいことを楽しく学ばせてあげられる教育者(親も含む)たち、彼らをフロー体験へと導くことのできる教育者たち、です。『HAPPIR』
「フロー体験」は、子育てにおける超重要キーワードです。私の講座の中で何度も出てきます。頭の片隅に置いていてくださいね。
5.まとめ
子どもはもともと「自ら伸びる力」を持っています。
それは幼児や小学校一年生の4月の姿から明らかです。
ところが、学校教育を受けている間に「勉強嫌い」が増えてしまう。
それはなぜか。
この疑問が出発点でした。
そして、その要因の一つとして私は「空白」を指摘しました。
これは学校の授業、学校の集団行動、家庭生活など様々な場面で見られます。
本来、子どもは「退屈」しないものです。
もし、我が子が「退屈だなあ」とつぶやいたら、それは成長におけるマイナス場面。
すぐに軌道修正が必要です!
今後、学校ではICTの活用で授業における空白はどんどん少なくなっていくことでしょう。
それは歓迎すべきことではありますが「子供たちは空白が嫌いだ」いう考えを持ち、目の前の子供に対応するスキルを持っておくことは、大人として大切なことだと思います。