講座117 街で見かけた理不尽な叱り方・第5話
2.子育て言葉
3.子ども同士だったら?
4.「友だち言葉」の問題点
5.まとめ
1.友だち言葉
公園で母親は足を組んでベンチに座り、小学3年生くらいの女の子が高めの鉄棒にぶら下がったものの、さかあがりができない。
母A:「うそでしょ?さかあがりできなくなってんじゃん。ふざけないでちゃんとやれよ。」
このお母さんは子どものことを考えていないお母さんです。
三つの言葉を連続して言っていますが、どれも「子育て言葉」ではありません。
「うそでしょ」は予想外のことが起きた時に出て来る「友だち言葉」です。
ママ友同士などの友だち同士の会話で使われる言葉ですね。
「できなくなってんじゃん」も「友だち言葉」です。
自分の子どもに向けて使うと、どこか不自然ですよね。
第三者はその不自然さに気づきますが、このお母さんはそれに気づいていないのでしょう。
「ふざけないでちゃんとやれよ」
最後まで「友だち言葉」です。
「子育て言葉」と、どう違うのか考えてみましょう。
2.子育て言葉
我が子が逆上がりで失敗した場面ですよね。
普通ならどんな言葉をかけるでしょう。
「あれ?できなくなっちゃったね」とか、
「もう一回やってごらん」とか、
受け止めたり、励ましたりする言葉を使うのではないでしょうか?
これが「子育て言葉」です。
「子育て言葉」は大人から子どもにかける言葉です。
たとえ他人であっても、大人は子どもに対して教育的に接するものです。
赤の他人が逆上がりが出来ない子に対して「うそでしょ」とは言わないですよね。
大人は子どもに対して教育的に接するものです。
ここをもっと深掘りしていきますよ。
3.子ども同士だったら?
子ども同士だったらどうなると思いますか?
子どもたち同士で鉄棒をやっていて、一人が失敗した時に、どんな言葉をかけると思いますか?
「うそでしょ」と言うと思いますか?
多分、ほとんどの場合は励ますと思います。
「○○ちゃん、がんばれ!」とか、
「できるよ、できる!この前出来たじゃない!」とか。
子ども同士の会話って案外教育的なんです。
もし、「うそでしょ」と言ったとしても、それは「励ます」意味で使うはずです。
「うそでしょ。この前出来たじゃん!やればできるよ!」みたいに。
ですから、子ども同士での会話は「子育て言葉」と同じ性質だと私は思っています。
暗黙のうちに、お互いが「子ども」であるということを認知しているのです。
「子どもなんだから出来なくても仕方ない」とか、
「子どもなんだから成長の途中なんだ」とか、
子ども同士で認め合っていると思うのです。
4.「友だち言葉」の問題点
先ほど次のように書きました。
大人は子どもに対して教育的に接するものです。
たとえ知らない子であったとしても、自分が大人だったら「教育的」に接するものです。
子どもは「地域の宝」「社会の財産」ですから、社会全体で育てましょうというのが社会常識です。
教育基本法にも書かれています。
第十三条 学校、家庭及び地域住民その他の関係者は、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携及び協力に努めるものとする。
これは「すべての大人には教育者としての責任がある」という意味だと思います。
これが、逆上がりが出来ない子に対して「うそでしょ」とは言わない理由です。
それなのに、親であるAさんは我が子の失敗に「うそでしょ」と友だちのように軽く言いました。
決して悪気はないのだと思います。
友だち感覚なのだと思います。
我が子であるがゆえに友だち感覚になってしまいやすい。
ゆえに、親としての意識は思った以上に必要なのです。
そうしないと、赤の他人よりも、子どもたち同士よりも、教育的価値が下がってしまうのです。
これが「友だち言葉」の問題点です。
5.まとめ
整理します。
大人は子どもに対して教育的に接するものです。
このことはわかりましたよね。
ところが、同じ大人でも「親」という大人は、身近であるがゆえに軽く接してしまう危険性があるわけです。
母A:「うそでしょ?さかあがりできなくなってんじゃん。ふざけないでちゃんとやれよ。」
第三者から見て「何か不自然だな」と感じたのはそういうことです。
子どもは大人ではありません。
成長途中です。
親は大人です。
子どもの友だちではありません。
それは、自分の子にとってこそ自覚しなければならない点なのです。
第十条 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。
日本の社会はこの第十条を具体化できずにいます。
「子育ての仕方」を学校教育で扱っていないのがその根拠です。
「子育ての仕方」を教えられずに親になってしまうのですから、Aさんだけを責めるわけにはいきません。
私はそう考えてこの活動をしています。