講座415 「気づく」ということ
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夏休み、お盆休みはどこかへ出かけられましたか?
子供たちはどんな体験をしましたか?
私は「ある本」を読んで、子供たちにとって体験がいかに重要かを再び考えさせられました。
今回はそのことをお話しします。
2.一歳児が言葉を覚える過程
3.アブダクション推論
4.「間違い」の山を作れ!
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1.記号接地問題
「ある本」というのは8月で13万部を突破した話題の書『言語の本質』です。
ChatGPTが話題になった時にAI関係の本なのかなと思って買ったのですが、
ところがどっこい!もろ子育て関係の本でした!
いくつか出て来るキーワードの中から、まずこの言葉を取り上げてみますね。
記号接地問題
これ、重要です!
今年の流行語大賞にノミネートされるんじゃないかと思うほど重要です!
たとえば、公文式の絵カードみたいなものにメロンの絵が描かれていて、「メロン」という文字も書いてあったとします。
そのカードを子供に見せて「メロンだよ」とお母さんが教えたとします。
子供は「ほお!これがメロンというものか!」と思ったとします。
(この子はまだメロンという物を見たことも食べたこともありません)
でも「メロン」という言葉は覚えました。
さあ、これでこの子は、「メロン」という言葉を知ったことになるでしょうか?
私たち人間は、その言葉を知っているという時に、その言葉の意味や付随する様々な情報を同時に思い出します。
「メロン」という言葉だったら、丸くて、甘くて、あのメロンの匂いがして、包丁で切ると緑だったりオレンジだったりする。
できれば緑のが食べたいな、とか。
さわったら、あの網の目の模様がデコボコするんだよなあ、とか。
それだったら「メロン」という言葉を知っていると言えますよね。
それに対して、絵カードでメロンの絵と文字を見て「メロン」だと分かるのは、「メロン」を知っていると言えるのか?
このことについて認知科学者のスティーブン・ハルナッドは、
言葉の意味を本当に理解するためには、まるごとの対象について身体的な経験を持たなければならない
と主張しました。
これは、もともとはAI研究における問題です。
AIだったら画像認識で「メロン」を認識できます。
実物のメロンをカメラで入力すれば、「メロン」と文字化したり、「これはメロンです!」としゃべったりすることができます。
でも、それは「メロンを知っている」ということになると思いますか?
AIはメロンの味も匂いも感触も知りませんよね。
それでもAIは言葉を理解していると言えるのか?
これが「記号接地問題」です。
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2.一歳児が言葉を覚える過程
この夏休みに家族全員で函館の実家に行きました。
実家にはエアコンがありません。
代わりに扇風機が3台回っています。
孫は生まれて初めて「扇風機」というものを目にしました。
当然ここで指を指します。
「ん!」(指さし)
私が「せんぷうき」と教えます。
もう一台の扇風機にも指をさします。
「せんぷうき。同じだね」
私は自分の家からも扇風機をキャリーケースに入れて持って来ていました。
その扇風機は実家のものとは形が違います。
孫はその扇風機も指さします。
「ん!」
「せんぷうき」
3台の扇風機を何度も何度も指さします。
その数分間で20回くらいはやったでしょうか。
そのうちに、扇風機が梱包されていた箱に商品の写真が付いているのを見つけて、今度はそれを指さします。
「ん!」
「せんぷうき」
箱には「縮んで使う場合」「少し伸ばした図」「角度を変えた図」と3種類のパターンの扇風機の写真があります。
孫は当然、全部ひとつずつ指さします。
私はひとつずつに答えます。
まさに言葉の学習ですね。
三次元の実物、そして形の違う別な実物。
次は二次元の写真。しかも3パターン。
全部違うけど、全部「扇風機」。
私の言葉は「せんぷうき」と「同じだね」だけ。
説明はしません。
ハルナッドが言った「まるごとの対象について身体的な経験」が出来たと思います。
その証拠に、実家から戻って来た孫は、初めて見る形の扇風機を見つけては、
「ぷうき!」
と自分から指をさして言うようになりました。
今では女子高生が持っているハンディー扇風機を見ても「ぷうき!」と言えるようになりました。
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3.アブダクション推論
ヘレンケラーは病気で視覚と聴覚を失いました。
手のひらに冷たい水を受けている時にサリバン先生が「water」と指で文字を綴った時に「ものには名前があるんだ!」と気づきました。
ここで重要なのは自ら「気づく」ということです。
あらゆる学習において、「気づく」は超重要です。
教える側の大人は子供が自ら「気づく」ように仕掛けなければなりません。
私の孫も気づきました。
「これもせんぷうき」
「あっちもせんぷうき」
「この箱の写真もせんぷうき」
自分で知ったのです。
きっと頭の中で、「WAOH!」と叫んだでしょう。
中身は違っても「ものには名前があるんだ!」と気づいたヘレンと同質の喜びです。
孫の場合は何かしらの共通点(法則)を発見したのでしょう。
このヘレンと孫の学習のことを「アブダクション推論」と言います。
二人とも自分で気づきましたよね。
今井(2023)は書いています。
言語の習得とは、推論によって知識を増やしながら、同時に「学習の仕方」自体も学習し、洗練させていく、自律的に成長し続けるプロセスなのである。(204ページ)
「これを『せんぷうき』と言うのか」と知り、「これも『せんぷうき』と言うのか」と知り、
知識を増やしながら「もしかしてこの箱の写真も扇風機なのかな?」と仮説を立てたわけです。
ですから、写真の扇風機を見た時の「ん!」は仮説の「ん!」だったはずです。
そしたらやっぱり「扇風機」だった。
この時に、推論して知識を増やすという「学習の仕方」も学習したわけです。
ヘレンの「気づき」もこれと同じアブダクション推論です。
学習は「経験の丸暗記」によるものではなく、「推論」というステップを経たものなのである。(205ページ)
推論(探求学習)には3つの型があります。
①演繹推論
②帰納推論
③アブダクション推論
①演繹推論というのは、法則にもとづいて結論を導く思考法です。
有名な演繹推論がこれです。
・人は死ぬ【揺るぎない大前提】
・ソクラテスは人である【ひとつの事実】
・だからソクラテスは死ぬ【導かれる結論】
演繹推論は分析的に詰めていく思考法です。
ですから、「~だよね!」「ホラ!間違いないでしょ!」と詰められると、反論できません。
これ、反論できないですよね。
ですから理屈で詰めるのが好きな人は演繹推論が得意です。
ただし、演繹推論にも欠点があります。
演繹推論は最初に「揺るぎない大前提」から出発しています。
「人は死ぬ」という大前提は覆しようがない例なので間違いようがありませんが、
私たちの生活の中には様々な前提が存在します。
もっと身近な例で考えてみましょう。
・毎週金曜日はカレーが出る【揺るぎない大前提】
・今日は金曜日だ【ひとつの事実】
・だから今日はカレーが出る!【導かれる結論】
これも間違いがないように思われますが、
もし、最初の大前提が違っていたら、結論も変わって来ます。
「本当に毎週金曜日にカレーが出るのか」ということを疑われた時に、
それが違う場合も現実生活にはありますよね。
ここが演繹推論の弱点です。
大前提を疑わずに頑張ってしまうと間違ったまま事が進みます。
この弱点を知っておきながら進めるのが賢い思考法です。
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②帰納推論というのは、法則を導き出す思考法です。
・先週の金曜日はカレーが出た【データ1】
・今週の金曜日にもカレーが出た【データ2】
・先々週もそうだった【データ3】
・だから、「金曜日には毎回カレーが出る」はずだ!【結論】
データを集めて「だから~だ!」と導く思考法です。
・ソクラテスは死んだ【データ1】
・徳川家康も死んだ【データ2】
・おじいさんも死んだ【データ3】
・隣りのおばさんも死んだ【データ4】
・だから「人はみんな死ぬ」【結論】
帰納推論の欠点は「キリがない」ということです。
どこまでデータを集めれば正しい結論と言えるのか。
3回連続カレーが出たからと言って、「金曜日は必ずカレー」と結論づけていいのか。
そこが弱みとなります。
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これらに対して、③アブダクション推論というのは、仮説を導き出す思考法です。
・金曜日にはカレーが出るという噂がある【データ1】
・今日はカレーが出た【データ2】
・ということは今日は金曜日かも知れない!【仮説を立てちゃう】
本来ならば噂を確かめるためめに、もっとたくさんのデータを集めるべきなのですが、
それをしないで、直観的に「こうだ!」とひらめいてしまう思考法です。
・魚の化石が発見された【データ1】
・発見場所はかなりの内陸地だった【データ2】
・この陸地がかつて海洋だったのではないか!【仮説を立てちゃう】
アブダクション推論の特徴は、間違いかも知れないけど仮説を立ててしまうという点です。
データと出会った時の「驚き」や「喜び」や「ひらめき」が大切にされます。
仮説を確かめたいなら、あとから別なデータを集めればよいのです。
後から帰納推論や演繹推論を使うこともあるでしょう。
それはそれで、とりあえず仮説を立てちゃう思考法がアブダクション推論です。
アブダクション推論はチャールズ・パースという哲学者が発見した思考法なのですが、そのパースは次のように言ってます。
①演繹推論は当然の帰結を生むだけ
②帰納推論はひとつの値を決めるにすぎず
③新しいアイディアを導く唯一の論理的操作がアブダクション推論
参照:松岡正剛の千夜千冊
どうですか?
アブダクション推論が分かって来ましたか?
要するに、新しい何かを生む可能性のある思考法という感じです。
この他に、「既知の前提から未知の結論を導き出すための論理的に統制された思考過程」とか、
「想像力が発揮される余地の大きい推論法」などと説明されています。
学校教育の視点からアブダクション推論をまとめます。
新たな発見を生み出す可能性のある思考法で、かつ、自ら学習の仕方を学べる自己成長学習である。
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4.「間違い」の山を作れ!
本来、子供はアブダクション推論が得意です。
投げる人がピッチャーで、受ける人がキャッチャーだから、打つ人は「バッチャー」だよね。
と考えるのはアブダクション推論です。
「イチゴの醤油」取って!
と我が子が言ったら何だと思います?
「イチゴの、醤油?」
実は、この子は「練乳」のことを言いたかったのです。
食べのものにかけるのものは「醤油」。
だから、練乳は「イチゴの醤油」だと考えたわけです。
同じような間違いに「足で投げる」があります。
これはわかりますよね。
「足で投げて!」と言ったら「蹴る」のことだなって分かりますよね。
でも、子供がこんな間違いをした時に、大人はどんな対応をしていますか?
「違うでしょ!『蹴る』って言うのよ!」とかって間違いを直しますよね。
あるいは、
「『イチゴの醤油』ってナンダ?アハハハ!」って笑い話にしちゃいませんか?
でも、このような間違いがアブダクション推論なのです。
ヘレンケラーと同じ発見をしているんです。
「すごいね!よく考えたね!」
そうやってほめてあげると、子供は考えるのが好きになると思います。
だって人間にしか出来ない高度な思考をしてるんですから!
でも、そんな思考があったなんて、知りませんよね。
私もこの本を読んで初めて知りました。
そして、私もアブダクション推論をしてみました。
・アブダクション推論では変な間違いが生まれる
・でもそれが新しい考え方を生む大切な思考法なんだ
・ということは学校の先生もアブダクション推論を大事にしなければ!
そして、すぐに思い出したのは教師として有名な向山洋一先生のことです。
思えば、向山先生は子供の間違いを殊の外大切にされていました。
教室とは、間違いを正し真実をみつけ出す場だ。
教室は、まちがいをする子のためにこそある。
教室には、間違いを恐れる子は必要ではない。(向山洋一『教師修業十年』23ページ)
これは向山学級の教室目標です。
まさにアブダクション推論のために掲げられた言葉だと気づきました。
「間違い」こそ子供を成長させる大事な機能だということです。
「間違う子」を守るために掲げられた教室目標です。
実際に向山先生の授業では「間違い」が大切にされていました。
間違った子に恥をかかせるなんてありません。
逆なんです。
授業の中で「間違い」が大切にされるんです。
ですから、こんな言葉もあります。
「久保田さんのまちがいが高級だ」(学級通信「アチャラ」№80)
この時の授業で出された問題はこれです。
ある日の昼の時間は、夜の時間より1時間長い。昼と夜はそれぞれ何時間か。
興味のある方はやってみてください。
学校の先生でこの実践を知らない方は、ぜひ教室で試してみてください。
この授業は4年生でおこなわれたものですが中学生でも真剣に取り組みます。
やり方は簡単です。
黒板にこの問題を書き、「出来たらノートを見せに来なさい」と言って先生は椅子に腰かけるだけです。
注意する点は、おしゃべりをさせないこと、教師も黙って「しっかりと大きく」バツをつけること。
やったことがある先生は分かりますよね。
教師が何も教えないということが如何に大事なことなのかが実感できる授業です。
そして、間違い(アブダクション推論)を大切にするということも今なら分かります。
私は20代の頃にこの授業を追試して衝撃を受けました。
若い先生はぜひ挑戦してみてください。
追試は、「すぐれた技術・方法」を身につけるためにだけ必要なのではない。
「すぐれた実践家」と「自分自身」との対決を作り出すから必要なのである。(向山洋一公式WEBサイト)
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「まちがいが高級」は素敵な褒め言葉だと思いました。
私も使ってみます!
コメント早い!今年一番!