講座405 連鎖を断つ「教育再生へのスケッチ」
2.現在の教員養成制度では「負の連鎖」を断ち切れない
3.学校は「オーバーロード(過剰積載)」している
4.「幼児教育」は負の連鎖を断ち切れるか
5.断ち切る「光」が見えた時
6.「子育ての仕方」に立ち入るのは政治的タブー
7.葬り去られた条例案
8.母親の「孤育て」
9.最後の望み「幼児教育」の実情
10.保育士の勤務実態
11.まとめ
1.学校は格差を維持・拡大させている
左はアメリカ、右は日本のグラフです。
アメリカの方は横軸が6歳~12歳、縦軸が算数のテストの点数、4種類の折れ線は上から高所得家庭層、準高所得家庭層、準低所得家庭層、低所得家庭層です。
日本の方は横軸が小1~小4、縦軸が家庭学習の時間、折れ線は上から両親が大卒、片方が大卒、どちらとも大卒ではないという順です。これは厚生労働省の「21世紀出生児縦断調査」の結果です。(「親の関与と小学校低学年児童の学習時間―21世紀出生児縦断調査による検証―」独立行政法人経済産業研究所)
調査観点は異なりますが、どちらも同じような実態を炙り出そうとしています。
このグラフからどんなことがわかりますか?
パッと見て「所得が高ければ学力が高い」ということが出て来ます。
これはもう世の中において常識的な見解になっていると思います。
しかし、教育経済学の解釈はもっとシビアです。
(1)学校教育が「負の連鎖」を断ち切る可能性は小さい
(2)格差のある状態で平等な教育を行えば格差は拡大する
どの子にも平等に教えることは一見良さそうに思えます。
しかし、「平等」に教えるだけだと格差は縮まりません。
学校は「出来ない」を「出来る」に変えるところです。
教師は、勉強が「出来ない」子を、「出来る」子にしなければなりません。
ですから「平等」に縛られるのでなく(「平等」に教えるのてはなく)、「加減」をつけなければなりません。
元小学校教師の向山洋一氏は次のように言います。
出来ない子を出来るようにさせ、出来る子をも同時に満足させるのが学校の授業です。(文責筆者)
「格差」「連鎖」が続くのは、それが実現できていないということです。
図のように、教育経済学では「所得の差」が格差を生むことを示しています。
しかし、教育社会学では「学力の差」に絞った形で次のように述べています。
「学力格差は縮小することなく維持・拡大していく」(数実浩佑著『学力格差の拡大メカニズム』)
この本では、次の主張が、様々な先行研究を踏まえた「当然の前提」になっています。
(3)学校は格差を維持・拡大させる装置
小学校1年生の時点で存在している格差が、学年が上がるにつれて維持・拡大することを簡潔に示した言葉がこれです。
学校、特に公立学校は、格差を縮小・消去させる場所であるはずです。
出来ない子を出来るようにさせ、
勉強を好きにさせる場所が学校です。
本記事では、なぜ、それができないままなのかについて追求していきます。
2.現在の教員養成制度では「負の連鎖」を断ち切れない
私はもう10年以上にわたって、この「負の連鎖」をどこで断ち切るべきかを考えてきました。
最初は学校の授業を変えるべきだろうと考えました。
そのためには「教師の質(授業力)」を向上させなければなりません。
しかし、教師は、授業のやり方をほとんど習わない状態で学校現場に放り出されます。
医師ならば手術の仕方を身につけてから外科手術をします。
車の免許を取得する場合も実際に道路に出て運転技術を試します。
ところが教員は、大学で具体的な授業技術をほとんど習わず、
採用試験でも知識の暗記が中心で授業の仕方は問題にされません。
小中高大とテストを中心にくぐりぬけて来たので優秀ではあるのですが、現場に出た時の授業の仕方をほとんど習わずに「現場」へ出ているのです。
現在の教員養成制度では「負の連鎖」を断ち切れない
大学を出たら新卒一年目の先生もベテランの先生も同じように担任を持ちます。
現場では「それが平等」だと思われていますが、それは違います。
何も手立てを持たずに丸腰で子どもたちの前に立つことは恐怖です。
それぞれの家庭で大切に育てられた子どもたちの「人生」に立ち会うわけです。
その45分間の授業は、一人一人の子どもたちにとって一生に一度の時間です。
新卒教師はその瞬間に確固たる手立てなく向き合います。
本当にそれは恐怖です。
私はその恐怖から逃れるために全国各地の「授業の名人」を訪ねました。
自腹で研究会に参加し、懇親会まで残り、その研究会で「名人」と呼ばれる先生の話に耳を傾けました。
そういう自己研修を34年間続けて実感したことですが、
教師の授業力は「べき分布的」に存在しています。
グラフに示すとこのようなイメージです。
パレートの法則と同じです、約8割の教師の授業力がF以下のレベルです。
Fの基準は「顔を上げて」「明るい声で」楽しそうに授業が出来るレベルです。
そのような授業力を持った教師が2割しかいないという感じです。
そして、グラフはロングテールの法則と同じで細長く続いて行きます。
その先にあるDというレベルは「荒れた学級を授業によって立て直せるくらいの力量」です。
このレベルは多く見て100人に1人、現実的には1000人に1人くらいだと思います。
日本には約40万人の小学校教師がいますが、Dレベルに達する教師は4000人くらいではないかと思います。
これは私個人の印象に過ぎませんが、子どもたちの格差を縮小・消去させることができる教員はごく少数しかいないということをお伝えしたいのです。
3.学校は「オーバーロード(過剰積載)」している
ここで二つの疑問が浮かびます。
【第1の疑問】先生は目の前に勉強が苦手な子がいるにもかかわらずその子たちをできるようにしようとは思わないのか?
【第2の疑問】教員になってからの研修で「授業の仕方」を身につけないのか?
この二つの疑問にお答えします。
第1の疑問ですが、多くの先生方が「苦手な子を救いたい」と思っているはずです。
そのための工夫もしているはずです。
しかし、出来ない子をそのままにしてでも次の単元に進まなければならない現実があります。
これを見てください。
予定された時数内で次々と消化しなければ、学期末になって終わらないという現実があります。
モタモタしていられないのです。
そして、一日のスケジュールもヘビーです。
「今の時間の授業で理解できなかった子がいたので次の時間も教えよう」、
なんてことは出来ません。
次の時間には次の時間にやるべきことが待っています。
先生も子どもたちもハードなのです。
毎日8時20分から15時15分までの学校にいても、出来る子はできるけど、出来ない子は出来ないまま。
そういう毎日が続き、一週間が終わり、そのくり返しで一年が終わるわけです。
そして、先生方が子どもから解放されるのは16時くらいです。
しかし、すぐに「自分の時間」は来ません。
会議や打ち合わせや行事の準備などがあります。
勤務規定である「45分間の休憩」も取らねばなりません。
ここに会議や研修などを持って来ることはできないので放課後の使い方は更にタイトになります。
定時に退勤しようとするなら、恐らく大量の仕事を家に持ち帰らなければならないでしょう。
そういう毎日のどこかで、学校は「研修の時間」も確保するわけです。
一般の方は、その時間で「授業の仕方」を身につけるのではないかと思うかも知れません。
しかし、実際は違います。
学校ごとに研究テーマというものがあり、そのテーマに沿った「研究」を行うのです。
「授業の仕方」を研修している学校は稀です。
つまり、学校の研修時間では「授業の仕方」を身につけられないというのが現状なのです。
したがって、身につけたければ自分で勉強するしかありません。
中には、わざわざそんなことをしなくても最初からセンスのある先生がいます。
そのような先生は学校の研究の先頭に立って職員をリードして行きます。
しかし、それは多くの場合が「研究」なのです。
研究とは、社会のために(他校のために)積み重ねる発表ありきの活動です。
明日の授業にすぐに役立つ「授業の仕方」を求める活動とは目的が異なります。
自分の授業力を高めたいと思うなら、外に出なければなりません(私の場合はそうでした)。
退勤後に、ご飯も食べずに公民館などで行われている教育サークルに出かけて勉強します。
初めは「教師になってからも勉強しなければならないのか?」と信じられずにいました。
そのような教師が稀なのは想像がつくと思います。
「授業の仕方」というのは教育書を読んだりYouTube動画を見たりしても身に付きません。
実技だからです。
実際に、誰かの前でやってみてアドバイスをもらうという練習が必要なのです。
再度、問います。
そんなことを勤務時間外にする教師がどれほどいると思いますか?
多分、100人に1人とか、1000人に1人くらいだと思います。
ゆえに「べき分布」なのです。
多くの先生方は「勉強が苦手な子を救いたい」と思って工夫しているはずです。
しかし、それは飽くまでも「工夫」であって「授業の仕方」ではないのです。
そして、学校の研修の多くは研究であって「授業の仕方」を実技で練習する研修ではありません。
①やらなければならない教科内容が次々と押し寄せる
②日課に余裕がない
こうした状況を「カリキュラム・オーバーロード」と言います。
発達障害への理解・対応、不登校問題、保護者対応・保護者支援、学級崩壊・学校崩壊などなど。
現在の学校はカリキュラム(授業)以外にも様々課題をオーバーロード(過剰積載)して走っています。
さらにその上に自己研修の場を見つけなければ「差」が埋まらない。
それが学校現場の実情なのです。
4.「幼児教育」は負の連鎖を断ち切れるか
私は小学校一年生の担任を9回経験しました。
そして、次のことを実感しています。
(4)小学校に入って来る時点で既に学力差がある
担任ですから授業をすれば、その差を身を持って実感します。
また、入学前の就学時健診の実施者も経験していますが、そこでも同様のことを感じます。
「21世紀出生児縦断調査」のグラフも、そのことを示しています(再掲)。
日本の特徴として、小3から格差が広がっています。
小3からは新出漢字が増え、小1、小2で身につけたはずの足し算・引き算・かけ算九九を前提に様々な計算問題が出て来ます。
学力の低い子が目立たなかった「生活科」が終わり、理科と社会科という「テストのための勉強」が始まります。
勉強が苦手な子の多くはここで勉強が嫌いになり始めます。
入学時の格差は小学校3・4年生で決定的になります(本来は低学年での差をなくすための時期なのに)。
それなのに3・4年生に新人教師をつける校長が少なくありません。
そして、高学年になって学級が荒れる。
こうした構図をいくつも見聞きしています。
本来ならば、どの先生が受け持っても大丈夫であるのが「教師の資質」というものでしょう。
それが保証されていない上に、学校としての長期的・組織的な態勢も構築できずにいるのです。
こうしたことも学校が格差を縮小・解消できない一つの要因です。
いずれにせよ「学校は格差を縮小・解消できない装置」と言われても反論ができません。
では、小学校以前の教育に期待をかかればよいのか?
小学校入学前の段階で「教育格差」を小さくすればいいのではないか?
2015年の日本では幼児教育ブームが起こりました。
このスライドはその時に私が作成したものです。
①~④は、ポール・タフの『成功する子・失敗する子』、ヘックマンの『幼児教育の経済学』、中室牧子氏の『学力の経済学』の3冊に共通する結論です。
負の連鎖を断ち切るには就学前教育が効果的である
これは私にとって「希望の光」でした。
就学前の幼児教育に力を入れればいいんだ!
そう考えて乳児と幼児に対する教育を学びました。
つまり、次の二つです。
①親の子育て
②保育所・幼稚園での幼児教育
しかし、ここでまた「壁」にぶつかります。
5.断ち切る「光」が見えた時
1947年にGHQ占領下で教育基本法が制定されました。
条項を見てみましょう。
第一条(教育の目的)
第二条(教育の方針)
第三条(教育の機会均等)
第四条(義務教育)
第五条(男女共学)
第六条(学校教育)
第七条(社会教育)
第八条(政治教育)
第九条(宗教教育)
第十条(教育行政)
第十一条(補則)
どうでしょう。
何かが抜けていることに気がつかれたでしょうか。
「学校教育」「社会教育」とあって、大事な何かが抜けてます。
そうです。
旧・教育基本法には「家庭教育」がなかったのです。
なぜ家庭教育が教育基本法に抜けていたのか?
日本が主権を回復したのは1952年(昭和27年)にサンフランシスコ平和条約が発効された時です。
それまでは占領下でした。
日本の伝統的な家族風土(家族の絆の強さ)を破壊するのは占領政策の一つです。
家庭の教育力は意図的に弱められたと言われています。
しかし、それから半世紀以上が経過し、日本も世界も大きく変わりました。
我が国は「失ったもの」を取り戻すために教育基本法を改正しました。
2006年(平成18年)5月。
教育基本法の中にようやく「家庭教育」が位置づいたのです。
第十条(家庭教育) 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。
2 国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない。
第一条(教育の目的)
第二条(教育の目標)
第三条(生涯学習の理念)新
第四条(教育の機会均等)
第五条(義務教育)
第六条(学校教育)
第七条(大学)新
第八条(私立学校)新
第九条(教員)新
第十条(家庭教育)新
第十一条(幼児期の教育)新
第十二条(社会教育)
第十三条(学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力)新
第十四条(政治教育)
第十五条(宗教教育)
第十六条(教育行政)
第十七条(教育振興基本計画)新
第十八条(法令の制定)
改正された教育基本法にも意図はあります。
私なりに整理して取り上げてみます。(旺文社の新旧比較表を参考に整理)
1.これからの時代は学校の勉強だけじゃなくて「生涯教育」が大切になる
2.「教員」の待遇は適正化すべきで、それとともに養成と研修が大切になる
3.我が子の教育の第一の責任者は親である(「家庭教育」)
4.地方自治体は保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない(「家庭教育」)
5.地方自治体は「幼児期の教育」の振興に努めなければならない
「幼児期の教育」という条項まで新設されています。
今読んでも時代の要請にぴったりだと思います。
その中で最も注目したいのが「4」です。
4.地方自治体は保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない
地方自治体というのは都道府県や市町村です。
自治体は「保護者に対する学習の機会及び情報の提供」をしましょう、ということです。
もちろん内容は「子育て」についてです。
簡単に言えば「子育て支援」です。
これが「子育て支援」の法的根拠です。
そこで地方自治体は自分たちの地域で「子育て支援」を実施しようと動き出しました。
実施するにはお金が必要です。
予算です。
予算をつけるためには自治体単位で条例を設ける必要があります。
「子育て支援条例」とか「家庭教育支援条例」といったものです。
このような条例が各地域に制定されることで、はじめて教育基本法・第10条の「家庭教育」が具体化されます(そうでなければ「絵に描いた餅」なのです)。
熊本県は2013年に「くまもと家庭教育支援条例」を施行させました。
第4条(県の責務)県は、前条に規定する基本理念にのっとり、家庭教育の支援を目的とした体制を整備するとともに、家庭教育を支援するための施策を総合的に策定し、及び実施しなければならない。
第10条(財政上の措置)県は、家庭教育を支援するための施策を推進するため、必要な財政上の措置を講ずるよう努めるものとする。
予算をつけて具体化しなければならないことが明記されています。
第4条の3項も重要です。
3 県は、第1項の規定により施策を策定し、及び実施しようとするときは、保護者及び子どもの障害の有無、保護者の経済状況その他の家庭の状況の多様性に配慮するものとする。
すごいです。
この時からすでに「多様性(ダイバーシティ)」という言葉を条例に盛り込んでいたのです。
第12条(親としての学びを支援する学習機会の提供)県は、親としての学び(保護者が、子どもの発達段階に応じて大切にしたい家庭教育の内容、子育ての知識その他の親として成長するために必要なことを学ぶことをいう。次項において同じ。)を支援する学習の方法の開発及びその普及を図るものとする。
2 県は、親としての学びを支援する講座の開設その他の保護者の学習の機会の提供を図るものとする。
「学習の機会の提供」とは、要するに「子育ての仕方」を提供するということです。
そして、非常に画期的なのが第13条です。
第13条(親になるための学びの推進)県は、親になるための学び(子どもが、家庭の役割、子育ての意義その他の将来親になることについて学ぶことをいう。次項において同じ。)を支援する学習の方法の開発及びその普及を図るものとする。
2 県は、学校等が子どもの発達段階に応じた親になるための学びの機会を提供することを支援するものとする。
子どもたちにも「子育ての仕方」を教えましょうということが書かれています。
それを発達段階に応じて「学校等が」ということです。
これはまるで私が実施している「赤ちゃん学」と同じです。
第14条(人材養成)県は、家庭教育の支援を行う人材の養成及び資質の向上並びに家庭教育の支援を行う人材相互間の連携の推進を図るものとする。
これは私のような人材を増やしましょうということです。
(残念ながら私の住む北海道は教育基本法を「絵に描いた餅」のままにしていますが)
最後に第17条を紹介します。
第17条(広報及び啓発)県は、科学的知見に基づく家庭教育に関する情報の収集、整理、分析及び提供を行うものとする。
この大切さがお分かりいただけるでしょうか。
現在、世間には「孤育て」という言葉があります。
日中、家の中で、他の人に会えずに、孤独に子育てをされているお母さん方を表現した言葉です。
「孤育て」とは人に会えないだけではありません。
自分の子育てに仕方に不安を抱えている状況も含めて「孤育て」です。
先日私は、義理のお母さんからは「A」と言われ、夫からは「B」と言われ、ママ友からは「C」と言われ、どうしていいかわからないというお母さんと出会いました。
このような母親が何を頼りにするかご存知でしょうか?
スマホ、つまりネット上の情報です。
予想がつくと思いますが、ネット上の情報は玉石混交(価値のあるものとないものとが入りまじっている状態)です。
私の実感では、6割は「別目的があって何かをアピールする記事」、2割が「どうでもいいこと」です。
したがってその8割は私にとって「批判的に読解しなければならない情報」です。
そして、この1割はPDFでアップされた学術論文などで急に難しくなるのです。
このような論文を日々忙しい普通のお母さん方が読むでしょうか?
したがって、本当に分かりやすくて根拠がしっかりしている情報は1割だけです。
第17条(広報及び啓発)県は、科学的知見に基づく家庭教育に関する情報の収集、整理、分析及び提供を行うものとする。
ですからこの第17条はとても価値があると思います。
やれるかどうかは別として、必要だと思います。
以上が熊本県の「くまもと家庭教育支援条例」の概要です。
いかがでしょう。
大切なこと、必要なことが書かれていると感じられたのではないでしょうか。
皆さんの地域にはこのような動きはありますか?
皆さんは「子育て支援」という言葉を聞いて何を思い浮かべますか?
多分、それは「お金」ではないでしょうか。
現在では、「子育て支援」と言えば、子育て世帯にお金を配るといった「お金」が中心の支援がメインになっています。
これには「ある事件」が関わっているのです。
6.「子育ての仕方」に立ち入るのは政治的タブー
2012年の5月に、大阪維新の会が「家庭教育支援条例案」を市議会に提出しようとました。
その条例案の中にこんな記述を入れてしまったのです。
第15条(発達障害、虐待等の予防・防止の基本)
乳幼児期の愛着形成の不足が軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因であると指摘され、また、それが虐待、非行、不登校、引きこもり等に深く関与していることに鑑み、その予防・防止をはかる
「愛着形成の不足が軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因であると指摘され」
この表現が問題になりました。
発達障害の子を持つ親の団体から批判が相次ぎました。
確かにこれでは科学的知見がグチャグチャです。
批判した人たちの言い分を簡単にまとめるとこうなります。
「親の愛情不足が発達障害の原因になる」という記述がある!
そんな記述はないのですが、そう受け取られてしまいました。
「愛着形成」は学術用語です。
その用語がいつのまにか「愛情不足」にすり替わってしまったのです。
結局、この条例案は発達障害児の保護者団体から抗議を受けて撤回されました。
しかし、この一件はこれだけでは済みませんでした。
メディアで大きく取り上げられたために全国各地で制定途中だった「家庭教育支援条例」がアブナイものだという社会風潮を生みました。
その結果、
条例制定→財政措置→保護者に対する学習の機会及び情報の提供
という一連の動きが全国各地でストップしてしまいました。
まさに「一行失すれば百行共に傾く」という言葉の通りです。
現在、選挙運動の時に候補者が叫ぶ「子育て支援」の意味はほぼお金の支援(給付や無償化など)です。
「保護者に対する学習の機会及び情報の提供」という本来の支援はどこかへ行ってしまいました。
国及び地方公共団体は、給付はいいけれど、子育ての仕方にまで介入してはならないという「暗黙の掟」が政治家の動きを鈍らせることになっているのです。
7.葬り去られた条例案
大阪市の条例案には画期的なものがいくつかありました。
第11条(学校等での学習機会の導入)
小学校から大学まで、発達段階に応じた学習機会を導入する
熊本県と同様に「子育ての仕方」を学校で学ぶという条項です。
しかも、小中高大学までです。
まさに私がやっていることと同じです。
確認しておきましょう。
日本の学校では小中高と「子育ての仕方」は学校で習いません。
かろうじて中高の家庭科で保育に関する内容があるだけです。
ただし、それは「他人としての幼児への接し方」などであり、「我が子の育て方」とは違います。
自分に子どもが生まれた時の育て方は全く習わないのです。
では、日本以外の国ではどうでしょう。
先日私は、ChatGPTで世界の子育て教育を調べました。
その結果、子育ての仕方を学校のカリキュラムに含めている国はありませんでした。
日本初は熊本県ですから、これが世界初ということになります。
熊本県での実施状況を見ると「親としての学び」には着手しているようですが、子どもたちが子育てを学ぶ授業はまだ公開されていないのか見つけられずにいます。
子どもたちこそ学んで欲しいです。
かつての日本は三世代同居の大家族が当たり前だったので、子どもたちは子育ての仕方を目の前で見て育ってきました。
見るどころか、小さい時から赤ちゃんの世話を自分が体験したという子どもたちがたくさんいました。
ですから昔は、わざわざ学校で教える必要などなかったのです。
今とは全く仕組みが異なるのです。
言うまでもなく、今は「赤ちゃんを抱っこしたことが一度もない」という大人が自分の赤ちゃんを産む時代です。
それなのに日本の学校教育は、「赤ちゃんのつくり方」も「赤ちゃんの育て方」も教えない歪んだ教育をし続けています。
問題となった大阪市の条文には「発達障害」についても画期的な箇所があります。
第16条(保護者、保育関係者等への情報提供、啓発)
予防、早期発見、早期支援の重要性について、保護者、保育関係者およびこれから親になる人にあらゆる機会を通じて情報提供し、啓発する
第17条(発達障害課の創設)
1項 発達障害の予防、改善のための施策は、保育・教育・福祉・医療等の部局間の垣根を廃して推進されなければならない
2項 前1項の目的達成のために、「発達障害課」を創設し、各部局が連携した「発達支援プロジェクト」を立ち上げる
「予防」「早期発見」「早期支援」はどれも重要なワードです。
「発達障害課の創設」なんて画期的過ぎてビックリです。
こんな条項もあります。
第8条(一日保育士、幼稚園教諭体験)
すべての保育園、幼稚園で、保護者を対象とした一日保育士体験、一日幼稚園教諭体験の実施の義務化
この8条は、10年後の今は全国各地で実施されています。(高知県の事例)(品川区の事例)
家庭教育支援条例は頓挫してしまいましたが、教育基本法は健在です。
本当の子育て支援はこれからです。
お金は使えばなくなります。
でも、知識は盗まれません。
盗まれないどころか次の世代へ受け継がれます。
バラバラになって消えようとしている「子育ての仕方」を繋いで行くには草の根運動しかないのか。
政治の世界での動きは不透明なままです。
8.母親の「孤育て」
「でも、病院や保健センターなどで赤ちゃんの育て方を教えてもらってるんじゃないの?」
私も最初はそう思っていました。
しかし、子育て中のお母さん方と接するうちに次のような場面を知りました。
①病院で教えられた通りにやっていたのに赤ちゃんが授乳を欲しがる
②義理のお母さんからのアドバイスを受けても赤ちゃんが嫌がる
③ママ友に相談したけどみんな意見が違って困った
①~③のような母親が行き着く先は決まって「スマホ」です。
病院や保健センターなどの公的な相談機関を利用しない方が多いのです。
「相談」はしたくない。
相談=自分がダメな母親だと見られてしまうようで拒絶する。
相談するくらいなら自分調べる。
そこで頼るのは手軽な「スマホ」の情報です。
周知の通り、スマホの情報は玉石混交です。
「8割のごみ情報」と「1割の難解な研究論文」の間に「1割の分かり易い情報」が混ざり合っている状態です。
それなりの学力がなければ情報読解は難しいでしょう。
安易な情報をキャッチしてしまって、問題の解決には至らない場合も少なくないようです。
ここにも学力格差、情報格差が影響しています。
そして、子育ての仕方は「乳児期」だけでなく「幼児期」「児童期」「思春期」というそれぞれのステージで大切なことがあります。
それをどこで習うというのでしょう。
これまで何度も述べて来たように国や自治体は「保護者に対する学習の機会及び情報の提供」に及び腰です。
「高校教育は無償にしましょう」などとは言いますが、その内容には手出しできません。
世間もまた、「子育てに正解はありません」などと言って、正しい子育ての仕方が無いかのような印象を与えています。
正しい子育ての仕方はあります。
愛着形成の仕方にしても、三項関係の築き方にしても、正しい子育ての仕方はあります。
それなのに、この国には「子育ての仕方」に対する「子育て支援」は無いのです。
今や家の中から出られず、赤ちゃんを抱えながらネットで必死に検索する「孤育て」は当たり前の光景になっています。
(5)「子育ての仕方」に対する「子育て支援」が無い
9.最後の望み「幼児教育」の実情
こうなると最後の望みは幼稚園や保育所で行われる幼児教育です。
ここが「負の連鎖」を断ち切るポイントとなるのでしょうか。
①幼児期は格差が小さい
②早い段階で学習スキルを身に付ければその後の活用が期待できる
確かに、幼児期という時期に効果は期待できそうです。(再掲)
経済的にもエビデンスがあります。
しかし、ここにも大きな問題が存在しています。
幼稚園・保育所・認定こども園(以下「園所」)もまたオーバーロード!
保育士の離職理由を見てみましょう。
「職場の人間関係」が悪いのは経験年数がいびつだからでしょう。
若手とベテランが多くて、中堅層が少ないのがわかります。
言葉は悪いのですが「ベテランが牛耳っている」園所もあると思います。
何しろ離職理由の第一位が「人間関係」なのですからそう考えてしまいます。
さらに言えば、ベテランと若手では保育の仕方に格差があると思います。
新聞記事で「発達障害」という言葉が広がったのは2000年頃になってからです。
恐らくベテランの方々は「ABC分析」とか「WISCの読み取り」とか「ワーキングメモリ」などについて学生時代に触れていなかったのではないでしょうか。
これは飽くまでも推測なのですが、特別な支援を要する幼児へのアプローチの仕方には年齢による格差があるように思います(もちろんベテランの方の中にも勉強されている方はいますが)。
なお、早期に離職して復職しない保育士のことを「潜在保育士」と言います。
潜在保育士は全国に約95万人いると言われています。(厚生労働省「潜在保育士の実態について」)
このような人材が復職し、活躍されれば職場の状況はかなり改善されるのではないでしょうか。
第二位の「給料が安い」というのも頷けます。
かなりの違いです。
一人で家族を養うのは難しい金額です。
三位、四位の「仕事量」と「勤務時間」も見てみましょう。
普段は19時近くまで残業をし、行事前は21時近くに退勤することもあります。出勤は朝7時半過ぎです。子どもたちとお弁当を食べるので、基本的にお昼休みはありません。夕方に10分ほど休憩はありますが、気を遣い休めたものではありません。こういった毎日を過ごしていても、残業代は0です。(出典:yahoo知恵袋)
朝7時から夕方6時まで幼稚園で仕事をし、毎日持ち帰りの仕事を23時くらいまでしています。持ち帰りなのでもちろん残業代などでません。プライベートの時間などなく、ここで働く限り仕事に拘束された生活が続くと考えただけで怖くて泣きたくなります。(出典:yahoo知恵袋)
2年目の幼稚園教諭です。早番7時〜16時、遅番8時〜17時が定時ですが、ほぼ定時に帰れることはありません。基本的に月曜日は残業していい日になっていて申請書を毎月提出しています。(4時間分のみ)他の日も毎日残業で、月60時間以上多いときは90時間くらい残業していますが、この時間分の残業代は一切もらえません。(出典:yahoo知恵袋)
「ソラジョブ保育士」というサイトに「現場で働く保育士の7つの深刻な悩み」というタイトルの記事があるので紹介させていただきます。
①多忙化とそれに見合わない待遇
②残業になりうる過度な作業
③休憩時間の確保
④保護者への対応による残業
⑤行事ごとの職員への大きな負担
⑥膨大な書類処理
⑦発達障害児への対応
まるで学校の教員と同じです。
教員の過重労働問題はかなりメディアで取り上げられていますが、保育の現場も全く同じであることに驚かされます。
私からもう一つ課題を付け加えるなら次を挙げます。
⑧ICTシステム導入の遅れ
お便りや連絡帳のアプリを導入している園所もありますがまだまだ少ないと思います。
次の章では、特別に③の「休憩時間の確保」について取り上げてみたいと思います。
10.保育士の勤務実態
保育士の休憩時間は、労働基準法34条1項により「労働時間が6時間を超える場合は45分以上、労働時間が8時間を超える場合は1時間以上の休憩時間を労働時間の途中に与えなければならない」と定められています。
学校の教員の場合、この休憩時間を放課後にとっている場合がほとんどです。
子どもが下校したあとですから、郵便局に行ったり、買い物をしたりなど職場を離れることができます。
しかし、保育士の場合は休憩時間をお昼にとります。
「休憩時間」=「お昼寝の時間」に重ねているわけです。
子どもたちがお昼寝をしているわけですから、学校の教員と違ってその場を離れることが出来ません。
何をしているかについてママリ [mamari]というサイトが記事を書いています。
- 連絡帳の記入
- 昼食
- 子ども達の荷物の整理
- 会議(職員会議・保育案会議・行事やその他の会議)
- 書類作成(日誌・週案・月案・おたより・個人記録など)
- 園内や保育室・トイレ等の掃除
- 行事の準備
- 製作物の準備
- 午後からの保育準備
(「園児のお昼寝中、保育士が5~10分毎にしていること」)
この中で一般的なのが「連絡帳の記入」です。
保育士にとって、お昼寝の時間は「連絡帳」を書くためになくてはならない時間なのです。
保護者の中にはこんな声も少なくありません。
子どもが夜、寝なくなるのでお昼寝はやめて欲しい。
これもわかります。
わかるのですが、このこと一つをとってみても様々な背景が存在しています。
大雑把に言います。
「子どもを早く寝かせたい」という親は「適切な子育て」をされている方なのだと思います。
「8時には寝かせたい」というくらいの睡眠目標を持っているのでしょう。
だから園所でのお昼寝はやめて欲しいと訴えるわけです。
この背景には科学的な根拠があります。
夜の睡眠は乳幼児の脳の発達に影響するのです。
研究者の報告から、乳幼児期の夜間の睡眠のあり方が「粗大運動」「微細運動」「視覚受容」「表出言語」の 4 領域で有意に影響することがわかっています。
また、この論文では、226 名の幼稚園・保育所に通う 5 歳児を対象に2 週間の睡眠調査をした結果が紹介されています。
それによると、生活リズムが不規則な幼児は三角形を上手く描けなかった割合が有意に高かったのです。
左側が上手に描けた子で、右側がうまく描けなかった子です。
上手く描けた子の中には、言っていないのに色まで丁寧に塗る子もいます。
しかし、描けなかった子の形は悲しいくらい、いびつです。
ここで既に「格差」が生じているわけです。
さらに興味深いのは、三角形の模写ができなかった幼児では、
「話を集中して聞くことができない」
「理解していない」
「持続力がない」
「姿勢が悪い」
「手足をふってきちんと行進できない」
「突然攻撃を仕掛ける」
などの集中力,情動面や姿勢の問題が見られたといいます。(Suzuki et al., 2005)
(6)幼児期の格差は早期の段階から家庭の中で始まっている
論文は園所における「お昼寝(午睡)」について次のように警告します。
乳幼児の睡眠問題を考えるにあたり多くの関心が向けられていることとして,家庭での寝姿勢や寝床環境,保育施設などでの午睡環境の問題がある。昼寝の時間帯や睡眠時の光環境あるいは音環境の問題が結果的に乳幼児の家庭での就寝時刻を遅延させる,睡眠の質を低下させる可能性があることにあることに注意を向ける必要がある。
「夜は早めに寝かしつけたい」(園所に通うために朝は早いのだから)
「生活リズムを整えたい」
そう考える保護者は「お昼寝(午睡)」は無くてもいいと考えるのでしょう。
しかし、その裏には次の事実もあるのです。
大人の都合で就寝時刻が遅くなっている乳幼児が存在する
・寝室にテレビがある
・リビングが明るい(大型テレビを含む)
・カフェイン含有飲料を飲ませている
・夜遅く一緒に外出する
そうした大人の都合によって就寝時刻がズレてしまう乳幼児の存在が指摘されています。
しかも、その子たちは園所に通っているので朝は早いのです。
ですから、園所での「お昼寝(午睡)」は貴重な睡眠時間になっています。
日本は世界一寝不足の国ですが、それは乳幼児においても同じです。
ですから簡単にお昼寝をなくすことができないわけです。
また、厚生労働省の「保育所保育指針」にも「午睡」は「重要」と書かれています。
午睡は生活のリズムを構成する重要な要素であり、安心して眠ることのできる安全な睡眠環境を確保するとともに、在園時間が異なることや、睡眠時間は子どもの発達の状況や個人によって差があることから、一律とならないよう配慮すること。
年齢によって必要な睡眠時間は異なるので工夫しようと思えば不可能ではないかも知れません。
しかし、施設環境や労働実態を考えるとかなり難しいと思います。
ましてや「個人の状況」に応じるとなると極めて難しい課題です。
「起きてる子は起きてていいよ」と言ったとしても、本来は保育士の休憩時間です。
しかも、連絡帳の記入などやらなければならないことがたくさんあります。
幼稚園・保育所・認定こども園もまたオーバーロード!
これが実態です。
この上に「質の高い幼児教育」を重ねるのはとても難しいことです。
保育士にも研修の時間はありますが、メモをとったとしてもそれを読み返す時間などありません。
実際の保育に研修で学んだことを取り入れてみたくても余裕がありません。
日常をこなすので精一杯なのです。
そして、ここでも教員養成システムと同様で、免許に実技的な子どもへの対応の仕方は含まれていないという問題があります。
たとえば、保育士試験では、実技試験は「ピアノ」「絵画」「読み聞かせ」から2つを選択します。
筆記試験は次の9科目。
- 保育原理
- 教育原理
- 子ども家庭福祉
- 社会福祉
- 保育の心理学
- 子どもの保健
- 子どもの食と栄養
- 保育実習理論
- 社会的養護
令和5年前期の試験問題が公開されているので「教育原理」の問3の一部を見てみましょう。
問3 次の文の著者として、正しいものを一つ選びなさい。
1 ルソー(Rousseau, J.-J.)
2 ペスタロッチ(Pestalozzi, J.H.)
3 エレン・ケイ(Key, E.)
4 モンテッソーリ(Montessori, M.)
5 キルパトリック(Kilpatrick, W.H.)
試験勉強ではこうしたことを暗記するのでしょう。(昔から変わっていません)
「発達障害」についての問いはどこかにあるのか調べてみたところ、「保育の心理学」の問17が微かに関係しているくらいでした。
問 17 次のうち、児童虐待に関する記述として、適切なものを○、不適切なものを×とした場合の
正しい組み合わせを一つ選びなさい。
A 発達障害は、虐待を受ける危険因子の一つである。
B 被虐待体験は、社会・情緒的問題を生むが、脳に器質的・機能的な影響を与えない。
C 被虐待体験は、心的外傷とはなり得ない。
D 児童虐待の通告義務は、守秘義務より優先される。
これが保育士試験の実態です。
小中高の教員と同じで、免許を取得し、試験に合格しても、現場に出たら「丸腰」で闘う日々です。
このような状況下で、「格差の縮小・解消」を幼児教育に丸投げすることは出来ません。
(7)幼児教育もまた疲弊している
11.まとめ
(1)学校教育が「負の連鎖」を断ち切る可能性は小さい
(2)格差のある状態で平等な教育を行えば格差は拡大する
(3)学校は格差を維持・拡大させる装置
(4)小学校に入って来る時点で既に学力差がある
(5)「子育ての仕方」に対する「子育て支援」が無い
(6)幼児期の格差は早期の段階から家庭の中で始まっている
(7)幼児教育もまた疲弊している
では、どこに「負の連鎖」を断ち切る「決め所」があるのでしょうか。
教員時代は、師匠である向山洋一先生の教えを守って、「できない子をできるようにさせ、そして同時に、できる子も満足させる授業」を求め、実践して来ました。
それが義務教育の任務だと信じていました。
そして、同じ志を持った仲間が、いつか「負の連鎖」をこじ開けるときが来ると夢を描きました。
私にできることをどれだけ果たせたかはわかりません。
またまだ鎖は強固です。
私は教員を辞めた身ですが、
教師として培った授業技量を活かして、
同じ夢を追い続けています。
負の連鎖を断ち切る決め所
私は、それが高校教育にあると実感しています。
これを書いている数分前に、私の授業を受けた高校生からメールで感想が届きました。
まだすべてを読んだわけではありませんが2つだけ目に留まった感想を紹介させていただきます。
将来、子どもができた時に今回教わったことを生かしていきたいと思った。
内容がすごくおもしろかったのでもっと子どもについて知りたくなった。
子育ては大変だと思うけど、大人になったら頑張ろうと思った。(高2男子)
私は将来、幼稚園教諭になろうと思っています。
基礎的なことから難しいことまで、色々なことを知ることができて楽しかったです。
親が大変なことがあるけれど、赤ちゃんの気持ちを考えることや表情を見ることがとても大切なことだと思いました。散歩をしている時のセリフの時に、目を見ることと、高いトーンで話すことはできたけれど、お花に指をさすことは思いつきもしなかったので、できた人はすごいなと思いました。(高2女子)
お蔭様で「赤ちゃん学」を受講した児童生徒は2000名を突破しました。
1万名をめざして走ります。
授業とは、わすか45分間ほどの時間の中に「畏れ」と「やりがい」を持ったものです。
子どもたちの大切な人生に関わる「畏れるべき瞬間」でもあり、
子どもたちの成長に手応えを感じられる「幸せな瞬間」でもあります。
この「畏れ」と「幸せ」を同時に感じられるというところに仕事の醍醐味を感じます。
教師の仕事は面白い!
幼小中高、多くの先生方がそう感じられる世の中に変えていきたいと思っています。
今日の教育の問題そして教員養成の問題に真っ向から切り込んだ見識です。徹底した根拠を示されています。私は、教員養成を担っています。ぜひ、この内容を学生の指導に生かしたいです。できれば全文読ませたいです。これまでの水野先生の研究の凄さと素晴らしさを感銘深く受けとめました。
コメントありがとうございます。
大変な時代ですが、若い世代に託すことは希望だと思います。
暗い内容が多くなりましたが、この現実を分かり易く伝えることで、
若者はきっと課題を乗り越えてくれるものと信じております。
駒井先生のお役に立てたら何よりです。
根拠に基づいた熱い思いが伝わってきました。
おっしゃる通りです。
お母さんの求められているものが、給料と子育ての両方です。
ママ友は皆違うことを言います。
子どもが違うからですね。
あと、周りのサポート体制も家庭によって違います。
分からない用語は、ネットで検索します。
でもどれが正しいのか、分かりません。
分かっていたら検索していませんからね。
信頼できる人を見つけて、勉強しています。
タミーさんはあちこち学ばれていて、素晴らしいお母さんだと思います。
でも、あんまり学び過ぎると消化不良を起こしますよ。
学んだものを脇に置いて、忘れてしまうのもまた大切です。
そんな風にしていると、必要な出来事はきっと向こうからやって来ます。
親の情報リテラシーが子供に影響すること、改めて意識しました。
私は運良く良い情報に巡り会えたと感じていますが、情報リテラシーやクリティカルシンキングといったものをを身に付ける機会や環境を、知らずに親に与えてもらえたと感じました。本を与えてくれたこと、科学的なテレビ番組を一緒に視聴したこと、進学させてくれたこと等。改めて感謝です。
そして、教育現場は、仕事の量に比べて、人員が少な過ぎると感じます。