講座217 日本の子どもは泣かない?

 目 次
1.なぜ、日本の子どもは泣かないのか?
2.イザベラバードの記録
3.日本の子育ての秘密(1)
4.日本の子育ての秘密(2)
5.日本の子育ての秘密(3)
6.まとめ

1.なぜ、日本の子どもは泣かないのか?

幕末や明治期の話です。

当時、日本を訪れた欧米人が驚いたことのひとつがこれでした。

日本の子どもは泣かない

「定説」と言われるほど、びっくりされたそうです。

【問題3】

では、どうして「日本の子どもは泣かない」と言われたのでしょうか?

2.イザベラバードの記録

世界中を旅してまわったイギリスの旅行家・イザベラバードは次のように記録しています。

「英国の母親は、脅したり、すかしたりして、子どもをいやいや服従させるのに、日本では、子どもが迷惑をかけたり、言うことをきかなかったりするのを見たことがない。」

「たまたま」見なかったのではありません。

彼女は東京を起点に日本中を見て回っています(日光、新潟、北海道、神戸、京都、伊勢、大阪など)。

ですから「たまたま」ではなく、「どこへ行っても」見たことがなかったのです。

その理由は二つあります。

欧米での子育ては「脅したり、すかしたりして、子どもをいやいや服従させる」のが普通だったのです。

そりゃ、子どもは泣きますよね。

しかも、ここには書かれていませんが、当時の欧米では「ムチ」でしつけるのが普通でした。

ツェンベリも記録しています。

「注目すべきことに、この国ではどこでも子供をむち打つことはほとんどない。子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、家庭でも船(長崎から江戸への船旅)でも子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった」

ということで、答えは①の「叱られるようなことをしなかったから」が正解です。

イザベラバードが「子どもが迷惑をかけたり、言うことをきかなかったりするのを見たことがない」と書いたように、迷惑をかけないし、しかも、言うことをきく

それりゃ、叱られませんよね。

叱られないから泣く必要もない。

別に我慢してたわけじゃないんです。

何しろ「一日中幸せ!・子どもの楽園!」ですから。

3.日本の子育ての秘密(1)

ではなぜ、日本の子どもは迷惑をかけず、言うことをきいたのでしょう。

そんな方法があるなら、ぜひ知りたいですよね。

答えは3つあります。

江戸時代には育児書ブームがありました。

ざっとこんな感じです。

「翁問答」(寛永17年(1640)/中江藤樹)「鑑草」(正保4年(1647)/中江藤樹)「悔草」(正保4年(1647)/井上小左衛門)「初学文宗」(慶安3年(1650)/徳川義直)「武教小学」(明暦2年(1656)/山鹿素行)「蔵笥百首」(万治2年(1659)頃/藤井懶斎)「やまと小学」(明暦4年(1658)/辻原元甫)「大和小学」(万治3年(1660)/山崎闇斎)「女式目」(万治3年(1660)/中野弥兵衛)「比売鑑」(寛文元年(1661)/中村惕斎)「女式集」(寛文元年(1661)以前「山鹿語類」(寛文3年(1663)頃/山鹿素行)「女五経」(延宝3年(1675)/小亀勤斎)「女学仮名往来」(延宝頃/作者不明)「女家訓」(天和3年(1683)/保井恕庵)「貝原篤信家訓」(貞享3年(1686)/貝原益軒)「婦人養草」(貞享3年(1686)/村上武右衛門)「大学惑問」(貞享頃/熊沢蕃山)「小児養生録」(元禄元年(1688)/千村真之)「いなご草(螽斯草)」(元禄3年(1690)/稲生恒軒)「婦人ことぶき草」(元禄5年(1692)/香月牛山)「女重宝記」(元禄5年(1692)/艸田寸木子=苗村丈伯)「唐錦」(元禄7年(1694)/成瀬維佐子)「壺の石文」(元禄11年(1698)/熊沢継長)「小児必用養育草」(元禄16年(1703)/香月牛山)「本佐録」(江戸前期/伝本多正信)

一冊取り上げて中身を見てみましょう。

『小児必用養育草』 香月牛山
「生まれて六十日の後、瞳 定まるなり。これより人を見て語るが如く笑う事を知る」   

意味わかりますか?

赤ちゃんは60日くらいで目を合わせて笑うようになるということです。

だから、ちゃんと目を見て対応してあげましょうということなんです。

現在で言えば「愛着形成」ですね。

この他に「抱っこ」も大切にされていました。

お母さんやお父さんだけでなく、いろんな人が「抱っこ」を大切にしていたといいます。

しかも当時は文字通り「肌と肌の触れ合い」が多かったようです。

まさに「スキンシップ」です。

こうしたことは当時の絵からもうかがい知ることができます。

一つ目の答えを「愛着重視」の世の中だったとします。

4.日本の子育ての秘密(2)

二つ目は「遊び」です。

前回も書きましたが、当時の街は「子どもの遊びが優先」だったと言われています。

道路で子どもたちが遊んでいたら、大人がその邪魔をしてはいけないのです。

道路を馬車が通る時は、遊んでいる子どもをよけて通っていたというのです。

それくらい子どもたちの遊びを大事にしていたのです。

しかもですね。

だいたい想像がつくと思いますが、当時は近所の子が外に出て来て遊ぶわけですから、

年齢はばらばらです。

ノンフィクション作家のジャレドダイアモンド氏は次のように書いています。

「異年齢による遊戯形態は、年長の子どもと年少の子どもの双方にメリットをもたらす」
『昨日までの世界(上)―文明の源流と人類の未来』

親がいちいち教えなくても、子ども集団の中で色々学ぶわけですね。

ということで、二つ目の答えは「遊び保障」です。

5.日本の子育ての秘密(3)

最後、三つ目です。

最後は少し考えてもらいましょう。

これも江戸時代の本なんですが、本のタイトルが見えますか?

なんと書いてあるでしょう。

『子供諸礼躾方』

読めますか?

そのままなのですが、「こどもしょれいしつけかた」と読みます。

絵を描いた人の名前も書いてあるのですが、見つけられましたか?

作者は歌川国芳です。

それで、どんな場面の絵かわかりますか?

上の男の子と下の女の子の動作に、それぞれ説明が付いています。

男の子:膳にすハりやう(お膳に座る様子)

女の子:給仕のしやう(給仕のやり方)

さあ、ここまでから(3)のキーワードが読めてきましたか?

日本の子育てにおける超重要キーワードです。

日本が世界に誇る子育ての仕方。

それは「お手本文化」です。

右の『子供諸礼躾方』もお手本ですよね。

見るだけでなく、実際に大人が「やって見せる」という場面もあったはずです。

左の写真は江戸時代の寺子屋の写真です。

先生が手を添えて書き方を教えていますよね。

寺子屋のことを別な言葉で「手習い」とも言いました。

寺子屋の先生は「手習い師匠(おっしょさん)」です。

Wikipediaによりますと、当時の名簿が残っている滋賀県の村では「村民の91%」が寺子屋に通っていたそうです。

寺子屋と聞くと「素読・習字・そろばん」というイメージがありますが、「礼儀作法」も教えていたようです。

そして、その教え方の基本が「見習い」と「手習い」です。

「見習い」というのは、お手本を見て真似る。

「手習い」というのは、お手本通りにやってみる。

この学習方法(見習い・手習い)の前提にあるのが「お手本」です。

つまり、「やって見せる大人」がいるということです。

場合によっては、上の子が「やって見せる」ということもあるでしょう。

そうしますと、ほとんどの日本人が「やって見せること」が出来るということです。

簡単に言うと「大人がお手本」ということです。

明治6年に来日したドイツ人・ネットーは次のように記しています。

「日本では、人間のいるところならどこを向いて見てもその中には必ず、子供も二、三人は混じっている」(ネットー)

興味深いですね。

大人が連れて行ってる場合もあるでしょうし、

子どもたちが自由に行き来していたのかも知れません。

「様々な場面で子どもには見て学ぶ機会が与えられていた」というのが私の考えです。

これは推測ですが、

見るだけではなく、やってみる機会も多かったのではないでしょうか。

6.まとめ

ということで【問題4】の答えを整理します。

この三つが私の考える「日本の伝統的な子育て」です。

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水野 正司

子育て応援クリエイター:「人によし!」「自分によし!」「世の中によし!」の【win-win-win】になる活動を創造しています。

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