講座187 教育界における2つの説
教育界には2つの説があります。
天動説と地動説です。
とても大事なことなのですが、世間一般には認識されていないようです。
もしかすると、学校の先生方にも自覚されていない方がいるかも知れません。
特に、若くて熱心な先生はほとんど気づいていないでしょう。
子育てに熱心なお母さん、お父さんの中にも気づいていない方がいるかも知れません。
でも、私は30年以上前からこのことに気づいていました。
今回はこのことについて広言します。
2.地動説
3.審問
4.運動
1.天動説
「授業の主体は子どもたちだ」という考え方です。
家庭においては、
「主役は子どもたちだ」
という考え方です。
これらを私は「教育界における天動説」と呼びます。
理 想
何事も「子どもが中心」という理想です。
そう。「何事も」です。
2.地動説
地動説は、それとは反対に、
「授業の主体は教師である」という考え方です。
教師と呼ばれる学校の先生方の本務は「授業」です。
先生方はそれでメシを食っていると言っても過言ではありません。
「授業」こそが、教師の仕事です。
家庭で言うなら、
「子育て」は親の務めである
という考え方です。
当たり前です。
教育基本法にも書いてあります。
(家庭教育)
第10条 父母その他の保護者は,子の教育について第一義的責任を有するものであって,生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに,自立心を育成し,心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。
これらを私は「教育界における地動説」と呼びます。
理想ではなく、事実に目を向けているからです。
子どもが中心なのではなく、教師や親が中心なのだという考え方です。
3.審問
しかし。
公の場(学校や行政やメディアなど)では、事実ではなく、理想が語られます。
教育の主役は「子どもたち」なんだ!
と。
これに異を唱える者は「異端者」だと思われ、白い目で見られます。
「教師主導の授業をしてはいけない!」
「学びの主体は子どもたちなんだ!」
学校教育現場では「異端審問」が厳しく行われ、事実に口を閉ざす者が多数を占めるようになります(なっています)。
そのようなことを指導する「異端審問官」まで存在します。
確かに、「学びの主体」は子どもたちです。
しかし、「授業の主体」は教師です。
多くの人には、この事実が見えなくなっています。
公の場(学校や行政やメディアなど)では、事実ではなく、理想が語られるからです。
4.運動
しかし。
事実に目を向ける教師、保護者、大人たちは存在します。
このブログでは、これからも、
自分たちこそ教育の主体者であり、
受益者は子どもたちなんだという信念を持って、
発信活動を続けて行きたいと思っております。