講座328 「そっと」という文化

妻がしばらく実家に帰省していて四女と二人きりです。

昨日こんなことがありました。

私はいつも四女の帰宅に合わせて晩ご飯を作っています。

ところが昨日はなかなか帰って来ません。

ご飯を作ってから2時間以上経っています。

私は「もうそろそろ帰って来るかな」と思っておかずを温めます。

スープも何度か温め直します。

労働者にとって晩ご飯は大事な時間だと思うからです。

そういうことを「そっと」やってあげます。

私は何も言いません。

恥ずかしいからかも知れません。

娘が帰って来た時の私はソファーでテレビを見ているだけです。

今朝はこんなことがありました。

朝、私が先に起きて茶の間へ行くと、私の下着がたたんでソファーの上に置いてあります。

昨夜、私が寝てから娘が洗濯をしてくれたのです。

私にはそれが「そっと」置いてあるように思えました。

起きて来た娘は何も言いません。

私も何も言いません。

本当は「洗ってくれたの?ありがとう!」と言えばいいのでしょう。

でも私は、わざわざ言うことではないように思ってしまうのです。

娘がやってくれた行為の価値を下げてしまうような気がするのです。

「そっと」が壊れてしまうと思ったのかも知れません。

だから黙っていました。

でも、心の中では「ありがとう」と思っています。

私は教員だった時にそういう「そっと」の文化を大切にして来ました。

いるんです。そういう子が。

そういう子を見つけて、その価値を語りました。

年に数回だけです。

毎回取り上げると汚れるからです。

「そっと」じゃなくなってしまうからです。

見て見ぬふりも大切なんです。

見てさえいれば、伝わるところがあるんです。

そうやって「そっと」の文化を受け継いでいました。

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水野 正司

子育て応援クリエイター:「人によし!」「自分によし!」「世の中によし!」の【win-win-win】になる活動を創造しています。

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5件のフィードバック

  1. つむちゃんのお母さん より:

    教員に成り立ての頃、数字の「0」の書き方が上からくるんではなく下からくるんだった私に「そっと」教えてくれた1年生のNちゃん。
    そういうのって何処で教わるんでしょう。やはり家庭なのでしょうか。
    「そっと」には、その人を立てるという意味もあるかもしれません。
    私も大事にしていきたいです。

    • 水野 正司 より:

      一年生の子が先生に「そっと」教えたのですか?
      それはまたスゴイ「そっと」ですね!
      一年生にしてできたお子さんなのですね。
      教える機会は学校や園にもあるし、もちろん家庭にもあると思います。
      家庭で教えていたとしたら、その子はおうちで園や学校での出来事を話すお子さんだったのかも知れませんね。
      また、お母さんも「そういう土岐はそっと教えてあげたらいいのよ」なとと優しく教えてくれるお母さんだったのかも知れませんね。

  2. タミー より:

    私はそっとしてもらうことが多いのです。
    私がした時は、何か言うことない?とありがとうを催促してしまっていました。
    そっとを大切にしたいです。

  1. 2023年1月12日

    […] 講座328 「そっと」という文化 […]

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