講座147 『自閉症は津軽弁を話さない』

 目 次
1.私は訛らない
2.私は自閉症
3. どうして訛らないのか
4.三女も納得
5.(おまけ)私の黒歴史

1.私は訛らない

私は北海道・函館市の出身です。

函館の人の中には津軽弁を話す人が結構います。

海を渡れば津軽ですので交流や移住があったんでしょうね。

私の母は津軽訛りが、かなり、ありました。

母は自分のことを「わ」とか「おら」と言ってました。

わがままな人は「ごんぼほり」

世間知らずは「ほんずなし」

頭がイカレテル人は「はんかくさい」

「えさ、へて、け」

これの意味わかりますか?

「えさ」は「家さ(家に)」、

「へて」は「入って」、

「け」は「食え(食べなさい)」です。

ですから、まとめると、

「うちに入ってご飯を食べていかない?」という意味です。

これを津軽弁で言うと「えさ、へて、け」 となります。

私の親戚はみんなこんな感じです。

そういう環境で育ったので私が津軽弁がわかります。

でも、自分では絶対に津軽弁を使いませんでした。

2.私は自閉症

私の言葉は標準語です。

函館出身だとわかるような訛りもありません。

時々、どうして訛ってないの?と聞かれることもあります。
(ちなみに4歳下の妹は訛っています)

では、どうして私は訛っていないのか?

もうわかりますよね。

本のタイトルにあるように、私は自閉症(ASD)だからです。

でも、子どもの頃は「自閉症」なんて言葉は知りませんし、

診断されたこともありません。

教師になって発達障害について勉強して気づいたことです。

自閉症の特徴と自分の特徴が重なるからです。

子どもの時代の写真を見てもわかります。
(自閉症っぽいんです)

ところが24歳くらいから顔が変わりました。
(自閉症を脱したな)

そんなわけで今は自閉症ではなく「自閉症圏」の人間だと思っています。
(発達障害はグレーですからね)

そんなわけで、私は自閉症だから訛っていないわけです。

それがわかったのはこの本のタイトルを見た時(つい最近)でした。

3. どうして訛らないのか

では、どうして自閉症の人は訛らないのでしょうか?

これは自分のことなのでよくわかります。

紹介した本は、実は、ちゃんと読んでいないので、

本ではなく、自分の考えでその理由を解説させていただきます。

理由は単純です。

正しい日本語ではないから

つまり、標準語が正しいと思っているわけです。

正しい言葉があるのに、なぜ間違った言葉を使うのか。

そこが許せないのです。

自閉症の子って、「間違いが許せない」という傾向を持っているんです。

教室で先生が「ハイ、鉛筆を置いてください」と言った時に、

前の席の子が鉛筆を握ったまま何かやっていたりすると「許せなく」なります。

大声で注意したり、鉛筆を奪い取ったりします。

他人の間違った行動に対しても過敏なんです。

自閉症は津軽弁を話さない

ですからこの本のタイトルを見た時は、理由がすぐにわかりました。

私にとっては「謎」でも何でもなかったわけです。

そういう事情があって、本の中身を詳しく読んでいません。

もしかしたら私が考えている理由と違っている可能性もあるのでご容赦下さい。

4.三女も納得

先日、三女が私の家にやって来た時のことです。

机の上に 『自閉症は津軽弁を話さないが置いてあるのを見つけました。

「あっ、何か面白そう?」

それで私が「どうして訛らないか」を解説してやりました。

そうすると娘が言いました。

「ああ、だから私は『おかちん』ではなくて『おかあさん』にこだわったのか」

長女も次女も母親のことを「おかちん」と呼んでいました。

私は「おとちん」と呼ばれていました。

なぜこうなったのかは忘れましたが、かわいいのでそのまま使わせていました。

ところが、1歳か2歳か忘れましたが、三女は絶対にこの呼び名を使いませんでした。

正しい呼び名じゃないからです。

0歳から読み聞かせをしていましたから正しい呼び方を知っていたのでしょう。

「『おかあさん』でしょ!」と強く主張します。

そうです。三女は私と同じ自閉圏の人間なのです。

7歳と8歳になっていた長女と次女は、三女の理屈に説き伏せられ、

母親は「おかあさん」、父親は「おとうさん」に統一されました。

今では、当時の保育所の先生だけが、私のことを「おとちん」と呼びます。

5.(おまけ)私の黒歴史

小学校の時の記憶で最も鮮明に覚えている出来事があります。

思い出したくない黒歴史です。

6年生の時だったと思います。

クラスで児童会役員に誰を立候補させるかについて話し合っていました。

恐らく、立候補者が出なくて困っていたのでしょう。

先生が「水野君、やってみないか?」と私に言いました。

その時、私は「いや…」と言いました。

その時、先生が「女の子か!」と言ったので、クラスは大爆笑です。

チガウ!そういう意味じゃない!

私は「いや、結構です」と言おうとしたのです。

それを途中で遮られて、「イヤ」と言ったのだと思われてしまったわけです。

「水野君、やってみないか?」

「いや、結構です」

どうですか?私の返事は?おかしいですか?

実は、最後まで言ったとしても少しおかしいのです。

6年生の子が「結構です」と言うでしょうか。

「いいです」とか「いやです」と言えばよかったんです。

それを格好つけて「いや結構です」と言っちゃうところが自閉症的なんです。

自閉症の子は必要以上に敬語を使ってしまう傾向があります。

「それが正しい」とか「失礼のないように」とか、

そういうところにこだわるんです。

どうしてこだわるかというと「不安」だからです。

普通の子以上に「失敗」を恐れます。

だから丁寧に言うんです。

でも、小学6年の私は結局失敗してしまいました。

失敗に弱い私にとっては一生忘れることのできない出来事として記憶されています。

この記事に投げ銭!

水野 正司

子育て応援クリエイター:「人によし!」「自分によし!」「世の中によし!」の【win-win-win】になる活動を創造しています。

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2件のフィードバック

  1. 三浦よう子 より:

    水野先生
    新潟 三浦よう子です。
    体調お気をつけくださいね。

    最後まで読ませていただきました。
    ありがとうございます。
    私は自分をADHDだと思っています。
    この落ち着活きのなさからです(笑)

    • 水野 正司 より:

      お気遣いありがとうございます。
      無理をしないで、カタツムリのように続けて参ります。
      発達障害の割合ですが、私は超大雑把に、
      3人の大人がいれば、1人はADHD傾向で、1人はASD傾向で、1人は普通の人だという感じに捉えています。
      つまり、普通の人の方が珍しいと思います。(^^)/

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