講座471 2月のコメント紹介(2023/2)
2月にいただいたコメントです。
つむちゃんのお母さんさん
タミーさん
畠山文さん
関口芳弘さん
ゆきちゃんママさん
コメントありがとうございました。
少し紹介させていただきます。
講座356 詩「日常の中に」
このお母さんの気持ちが痛いほど分かります。
そうなんです。
母は孤独が1番辛いです。(つむちゃんのお母さん)★12
小野省子さんの作人群は「母親」の心情を題材にした唯一無二の詩ですよね。
地道に広げていきたいです。
講座357 住所の書けない子どもたち
以前暮らしていた地域には産院がなく、義実家のある地域で出産し、産後は義実家へ。
その間、出生届けを出しに、赤ちゃんを義実家に置き、ドキドキしながら帰宅したことを思い出しました。出生届けのみならず、手当や補助を受けるために度々役所へ。
小さい子がいたり、働いていたりだと、役所に行くのも大変ですよね。
それと、18歳くらいのときの大学受験の願書等の手続きで、親に、大人なのだから、自分で調べてできるようなっているのが常識のように言われ、困ったことも。義務教育で教えるのはいいと思いました。自分の子には、突き放さず、教えたいと思いました。(畠山文)★12
「学校で教える内容」と「社会で役立つ内容」との間には差がありますね。
両方に意味があるのですが、日本の学校教育ではまだその辺が整理されていないように思います。
(1)読み・書き・計算は「学力の基礎」
(2)社会生活に必要な知識は「自立の基礎」
(3)学ぶ楽しさを知ることは「個性伸長の基盤」
どれも中途半端に扱われているように思います。
整理が必要ですね。
安岡正篤の高弟・伊與田覺氏は次のように言われています。
「常を尋ねて、学校を卒業したら世の中に立っても通用する。そういう基礎的なことをちゃんと学ぶ場所が小学校であるということです。」(伊與田覚『己を修め人を治める道』)
「世の中に役立つ」ではなく「世の中に立っても」という表現が義務教育の目標をきちんと表わしているように感じます。
講座354 中学生1000人の進路
特別支援学校高等部卒業は、「特別支援学校高等部卒業」となり高校卒業とは異なるようです。でも大学受験資格はあり、その区別は用語だけのように思います。しかし、一条校であるので、<>は誤りだと思います。この論理だと、小学部、中学部も小学校、中学校ではなくなってしまいます。(関口芳弘)★1
一般に言われる「高卒」というのは「高等学校卒業」という資格です。
それに対して、特別支援学校高等部は「高等学校」ではないので「特別支援学校高等部卒業」という資格になります。
その意味で支援高校を卒業しても「高卒」とはなりません。
私がこれを調べたキッカケは、支援高校を卒業して働きに出たときの待遇が「高卒」と比べて損のかどうかを知りたかったからです。
今はまだ調べている途中ですが、どうも「高卒」と「支援高卒」では給料に大きな違いはなく、むしろ「支援高卒」の方が有利な面も多いように感じています。
また、一般の高校において「高卒求人」が来ることがないことがわかりました。
卒業してから求人が来るのではなく、3年生の8月くらいの時点で求人が来ています。
支援高では2年生のうちに内々で決定することもあります。
「卒業資格」はこだわらずに、生徒の実情に応じた進路指導が必要であるように思います。
そして、高校の先生に限らず、小学校の教師や中学校の教師にも、進路の知識が不可欠です。
小学校入学時に「知的学級在籍」となるか「自閉情緒学級在籍」となるかという就学指導の段階から進路の知識が必要だと考えます。
「一般の高校において「高卒求人」が来ることがない」のは、普通科高校であり、工業高校、商業高校、農業高校等職業科高校には、たくさん求人が来ます。うちの次男の通う農協高校では求人倍率は10倍を超えています。トヨタでは愛知県内の工業高校から指定校推薦でたくさんの高卒生を採用しています。高卒で働くつもりなら、職業科高校の方が有利です。