講座219 大切に育てられた子どもたちのその後

 目 次
1.その後、どうなるの?
2.一日のうちに「大人」になる?
3.「若者心得」
4.「三つの階段」

1.その後、どうなるの?

「一日中幸せ」で「子供の天国」と言われた江戸・明治期の子どもたち。

果たして、そんなに甘えさせて大丈夫なのでしょうか?

今回のテーマは、「大切に育てられた子どもたちのその後」です。

このことに関する記録があります。

「怒鳴られたり、罰を受けたり、くどくど小言を聞かされたりせずとも、好ましい態度を身につけてゆく」(フレイザー夫人)

「世界中で、両親を敬愛し老年者を尊敬すること、日本の子供に匹敵する国はない」(モース)

どうやら立派な大人に育ったように思えますが、もう少し証拠が欲しいところです。

実は、それがあるのです。

フレイザー夫人の次の証言がそれです。

「彼らが甘やかされてだめになることはありません。分別がつくと見なされる歳になると、一日のうちに“大人”になってしまうのです」(フレーザー夫人)

甘やかされてダメになることがないと言い切っています。

そして、不思議なのは後半の文です。

分別がつくと見なされる歳になると、一日のうちに“大人”になってしまうのです。

これ、意味わかりますか?

「一日のうちに“大人”になる」とはどういうことでしょう?

これ、知ってる人は、かなりの物知りです。

知らない人が多いとは思いますが、一応問題にしておきます。

【問題5】なぜ、一日のうちに“大人”になってしまうのでしょうか?

2.一日のうちに「大人」になる?

フレーザー夫人は「分別がつくと見なされる歳になると」って書いてありますよね。

実はこれ、年齢が決まっていたんです。

「大人」になる歳というのがあったんです。

それは15歳です。

15歳になったら家を離れて「留学」しなければならなかったのです。

しかも、その留学は集団生活です。

・月28日間の合宿生活、先輩後輩絶対

部活の合宿生活ですね。2~3日は家に帰っていたみたいです。

・日中は農業、漁業、商業などへの奉公

実社会でのボランティア活動ですね。

・火災、海難、洪水、土砂崩れ、急病人、喧嘩などに24時間体制で備える

集団生活で消防署と自衛隊と救急病棟と警察を経験するわけです。

この留学の仕組みを「若者組」と言います。

めいっぱい遊んで幸せに過ごした子どもたちは、

15歳のお正月になったら、この「若者組」に入ります。

15歳のお正月に一斉に入るわけです。

だから、「一日のうちに“大人”になってしまう」わけです。

3.「若者心得」

若者組には「若者心得」というものがありました。

別名「イイキカセ」と言います。

この「イイキカセ」を暗唱し、実行できて「一人前の大人」として認められました。

・挨拶は、形ではなく、心を込めて自分からせよ

・自分の荷物は、朝食前に、揃えておく事

・人に荷物は持たせず、自分が一番多く持つ事

・休む時は後から休み、始める時は最初に立つ事

・後始末は、すべて自分事としてやるべし

・三年間、酒、煙草は飲むな

・草履は自分で作って履くべし

超具体的ですね。

「休む時は後から休み、始める時は最初に立つ事」なんて、まるで部活ですね。

この若者組に入った日からは、

親は我が子に対して、一切口出ししなくなる

といいます。

まさに、その日を境に「大人」になるわけです。

なお、若者組は男性で、女性には「娘組」という組織がありました。

集まって、糸を紡ぐ仕事や針仕事などしていたといいます。

集団生活の場は「娘宿」と呼ばれ、ここに若者組の男性たちが訪れて仕事を手伝ったり、歌を歌ったりなどの交流があったそうです。

娘組では、こうした集団の中で、男性をみる目を養ったり、性の知識を得たといいます。

4.「三つの階段」

元々の日本の子育ては、次の三段階で構成されていました。

まず、胎児から年齢を数えます。「数え年」です。

お腹にいる時から数えるので、生まれた時が「1歳」です。

そして、7歳になるまでは「神の子」という考え方がありました。

「自分の子」ではなく「神の子」です。

7つのお祝いが「人の子」になったお祝いというわけです(地域差あり)。

逆に言うと、7歳まではまだ人間じゃないわけです。

ですから、養っていけない場合は「マビキ(子返し)」といって、

神様の世界にお返しするということが普通に行われていました。

現在の日本では考えにくいと思いますが、

罪悪感はなかったのか、あるいは罪悪感を減らすためなのか、

そういう考え方があったのですね。

ちなみに、赤ちゃんを「取り上げる」という言葉は、

神様の世界からこの世に取り上げるという意味だそうです。

さて、7歳になりました。

7歳~14歳には「子供組」という組織がありました。

Wikipediaから抜粋してみましょう。

子供組は、日本の第2次世界大戦前の地域共同体において普通7~15歳くらいの少年が、年中行事や祭礼などの際に集まって構成した村落の伝統的な年齢集団の一つ。年長者が指揮し、一定の村仕事に従事し、活躍するために結成される集団であった。

近所の子供会ですね。縦割り集団です。

今でいう中学生くらいの子がリーダーとなっていました。

そして、15歳からが若者組というわけです。

ちなみに、戦前の子には思春期がなかったそうです。

親から離れるわけですから親に反抗している暇はなかったのでしょうね。

こうした伝統の中には、日本ならではの大切な部分もあったはずなのですが、

戦争によって全部いっぺんに変わってしまいました。

これから先の日本がどう変わって行くかはわかりませんが、

このような歴史を知っておくことは大切だと感じています。

(参考文献:田嶋一「若者組と青年期教育」)

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水野 正司

子育て応援クリエイター:「人によし!」「自分によし!」「世の中によし!」の【win-win-win】になる活動を創造しています。

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2件のフィードバック

  1. まき より:

    神様の子を預かっていると思うと、子育てが尊い仕事であるという感じがしてきますね。
    親と子の関係の歴史、勉強になりました。
    ありがとうございます。

    • 水野 正司 より:

      その感覚がどういうものなのか。
      当時の人じゃないと実感できないものがありますよね。
      でも、想像してみることは可能です。
      たとえば、「自分の子」も「他人の子」も一緒という考え方もそこから来ているかも知れませんよね。

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