講座586 砂場・裸足・桜の実(後編)

斎藤公子が「砂場が乾いていたら、保育者に保育する心がない」とまで言い切る背景には、

水と砂(泥)という環境が、乳幼児期の脳と身体を爆発的に発達させる最高かつ不可欠な教材である

という、確固たる科学的・実践的確信があります。

大人が「汚れるから」「片付けが大変だから」と水を制限することは、子どもの発達の機会を著しく奪う行為に等しい、という強い警告です。

この遊びが子どもの身体や脳にどのような影響を与えるのか、「着替え」という動作を例にして解説します。

(1)着替えが苦手な子はどこで躓いているのか①

「Tシャツの着脱ができない」「ズボンの着脱ができない」「靴下の着脱ができない」「ボタンがはめられない」…。

そんな時に、「早くしなさい!」とか、「なんで出来ないの!」なんて言ってませんか?

あるいは、それを口にすることはないとしても、心の中でそう思ったりしてませんか?

でも、冷静に考えると、〈幼児にとって「着替え」は複数な動きの組み合わせである〉ということに気づきます。

Tシャツを着るとき、Tシャツを持った〈手〉は上から下へ、〈頭〉は下から上へ伸び上がります。

Tシャツを手で持つのは手指を使った小さな動き(微細運動)です。

頭を上へ伸び上がらせるのは体全体を使った大きな動き(粗大運動)です。

「大きい動作」と「小さい動作」を組み合わせることは幼児にとって難しいことです。

また、Tシャツを脱ぐときは、右手は身体側へ引っぱり、左手は右の袖を持って身体から遠くへ引っ張るといった「左右同時の動作」も必要になります。

このように〈目や手、足など身体の複数の部分を同時に動かす機能〉を「協調運動」と言います。

ボタンをかける、ハサミを使う、文字を書くなどは微細な協調運動です。

縄跳び(縄を回しながらジャンプする)、ラジオ体操などは粗大な協調運動です。

着替えが苦手な子への見取り:「協調運動」が十分に発達していないことが考えられる

神経発達症(発達障害)の中には、DCD「発達性協調運動症(Developmental Coordination Disorder)」という特性があります。

手先が不器用、運動が極端に苦手といった症状が特徴ですが、それが〈単なる発達の遅れ〉なのか〈DCD〉なのかを見極めるのは難しいことです。

DCDに関しては、以前は〈年齢が上がるにつれて改善する可能性が高い〉などと言われていましたが、最近の研究では、「成人期まで持続する割合が30〜70%」と報告されています。出典:Developmental coordination disorder traits persistently affect physical activity and sedentary behavior in adults(2026)

この認識は〈小さな発見〉ではありません。

幼児期に

・着替えが遅い
・箸が苦手
・はさみが苦手
・転びやすい
・ボール遊びが苦手

などの特徴を持っていても、大人に手伝ってもらうことで大きな問題には至らない場合が多いと思います。

また、本人も周囲も幼児なので、そのこで心が傷つく場合も少ないでしょう。

しかし、この特性が児童期や思春期、成人期まで続くとすると、

・ノートを取るのが遅い
・作業や実技が遅い
・体育が苦手
・疲れやすい
・動きが不自然
・人と違う
・笑われる

などに対して、不安、抑うつ、依存、自己評価の低下などの二次的問題として現れる場合があります。出典:「成人における発達性協調運動障害:成人精神科医によって診断が見落とされがちな疾患の症例シリーズ」(2023)

したがって、幼児期における協調運動の見取りは重要なテーマです。

また、ASDの89% (Green et al, 2009)、ADHDの55.2% (Watemberg et al. 2007)にDCDとの重複が見られることが報告されています。

このことは、「手先が不器用」「運動が極端に苦手」といった特性がASDやADHDの発見につながるという意味を持ちますが、それと同時に、ASDでもADHDでもない純粋なDCDの子を見落としてしまう可能性も持っています。

ASDとADHDは特性が目立つのに対して、DCDはその陰に隠れがちなのです。

しかし、その特性が成人期まで続き、二次的問題として現れることを考えると、焦点を当てるべき大きな問題です。

〈単なる発達の遅れ〉なのか〈DCD〉なのかを見極めるのは難しい

ASDやADHDと重複している場合がある

こうなると素人には判断ができません。

しかし、いずれであっても「正解」はあります。

それは、

いずれにしても「遊び」は有効である

ということです。

DCDであっても、単なる発達の遅れであっても、ASDであっても、ADHDであっても、

いずれにしても、幼児期の遊びはプラスに働きます。

  • じょうろを持つ
  • 水をこぼさないように運ぶ
  • カップに水を注ぐ
  • スコップで濡れた砂をすくう
  • 型に砂を詰める
  • 手で押し固める

これらはすべて〈目で見ながら手を調整する動き〉です。

つまり、手と目の協調、手指の微細運動、力加減の練習になります。

  • 左手でバケツを押さえ、右手で砂を入れる
  • 片手でカップを持ち、もう片手で水を注ぐ
  • 片手で型を支え、もう片手で砂を詰める
  • 両手で泥団子を丸める
  • 片手で穴を掘り、もう片手で周囲の砂を押さえる

これらは〈一方の手が支える手、もう一方の手が操作する手〉という動きです。

両手の協調運動です。

  • しゃがみながら、指先で泥団子を丸める
  • バケツを運びながら、水をこぼさないように手首を調整する
  • 体をひねりながら、スコップで砂をすくう
  • 足場の悪い砂の上で、じょうろの角度を調整する
  • 友だちと一緒に、大きな山を作りながら細かい溝を掘る

これらは〈大きい動作と小さい動作の組み合わせ〉です。

つまり、砂場に水を持ち込む自由遊びは、手指の微細運動、両手協調、微細運動と粗大運動の組み合わせといった〈協調運動の発達を支える活動である〉と言えます。

厚生労働省の「DCD支援マニュアル」には、「楽しい」「できた」という体験が重要な要素として示されていることからも、〈砂場に水を持ち込む自由遊び〉は協調運動の発達に適した遊びと言えるでしょう。

(2)着替えが苦手な子はどこで躓いているのか②

「着替え」には協調運動が必要であることを解説してきました。

もう一つ必要なにが感覚統合です。

立ったままズボンを着脱するには、片足で身体を支えるだけのバランス感覚が必要となります。

座ったままズボンや靴下を着脱する時でも、手足をスムーズに動かすためにはお尻の周辺に重心を置いて、安定した姿勢を保つことが必要になります。

幼児の中には、この「バランス感覚」や「安定した姿勢の保持」がまだ獲得できていないお子さんがいます。

そうした子は衣服の着脱をする時に、自分の体のバランスを保つことや重心を安定させることにエネルギーを使います。

そして、それと同時に、衣服の着脱に必要な手足の動作をすることにもエネルギーを使います。

〈安定させること+手足の動作〉

大雑把に言うと、この二つを同時に行うことが難しいのです。

詳しく言うと、衣服を感じる触覚、前庭感覚というバランス感覚、状況を見るための視覚などを同時に使っています。

このように、いくつかの感覚を同時に使うことを「感覚統合」と言います。

衣服の着脱が苦手な子は、この感覚統合が十分に発達していない場合もあります。

着替えが苦手な子への見取り:「感覚統合」が十分に発達していないことが考えられる

この図の中に「泥んこ遊び」もあります。

皮膚は「露出した脳」とも呼ばれ、乳幼児期において触覚は最も重要な情報入力源の一つです。

乾いた砂は「サラサラ」ですが、水が加わることで「ドロドロ」「ベタベタ」「ザラザラ」「ヌルヌル」と、水分量によって感触が無限に変化します。

さらに、水の「冷たさ」や泥の「重さ」もそこに加わります。

その組み合わせ方によって、遊び方が「乾いた砂」の場合とは全く違って来ます。

  • 強く握ると水が出る
  • 弱すぎると崩れる
  • 押し固めると形が残る
  • 水が多すぎると流れる
  • 砂が少ないと山が崩れる

これは、触覚・固有受容感覚・力加減の学習です。

砂と水は、〈どのくらいの力で、どの方向に、どの順番で動かすか〉を試行錯誤させてくれる素材です。

水を入れたバケツやじょうろを運ぶときに、

  • 体幹を安定させる
  • 足元を見て歩く
  • 水がこぼれないように腕を調整する
  • しゃがむ、立つ、またぐ、方向転換する
  • 片手または両手で重さを支える

という調整をしています。

これは全身の感覚統合です。

砂場で水を扱う活動は、この〈姿勢を保ちながら手を使う〉経験になります。

この他にも〈砂+水〉は幼児の「遊び方」を無限に変化させます。

砂場に水を入れると、砂の状態がどんどん変わります。

  • 水を入れると流れる
  • 穴に水がたまる
  • 山が崩れる
  • トンネルが壊れる
  • 溝を掘ると水が通る
  • 堤防を作ると水が止まる

子どもは、

「こうしたらどうなるかな」
「次はここを掘ろう」
「こっちを押さえないと崩れる」
「水を少しだけ入れよう」

と、結果を予測しながら身体を動かします。

これは、企画や問題解決、順序立ての経験です。

遊びの幅が広がることによって、そこに「道具」が加わったり、「友達」が加わったり、「協同作業」が加わったり、「空想」が加わったりします。

図の右端に表記したように、土台感覚から始まって、認知行動、知的活動への発展して行くわけです。

〈砂+水〉の遊びは、就学前の子どもがさまざまな技能を示す場になることが観察研究でも報告されています。文献:「水遊びと砂遊び:未就学児にとって単なる遊び以上のもの」(2020)

(2)着替えが苦手な子はどこで躓いているのか③

最後にもう一つあります。

それは、〈自分の身体を見ないで手足を動かす〉ということです。

上手にできる子は〈そうなっている〉はずです。

この〈そうなっている〉というのは無意識です。

脳科学ではこれを「身体図式(ボディイメージ)」と言います。

自分の頭の中に自分の体のイメージが出来上がっていて、その「身体図式(ボディメージ)」を脳が自動的に参照しながら手足を動かします。

それが〈自分の身体を見ないで手足を動かす〉という動作です。

このボディイメージが曖昧であれば、手足を思い通りにスムーズに動かすことが難しくなります。

③着替えが苦手な子への見取り:「身体図式」が十分に発達していないことが考えられる

身体図式には〈自分の身体のサイズ感〉も含まれます。

砂場・水遊びでは、

  • 手を伸ばしてスコップを取る
  • 水路を壊さないように足を置く
  • 友だちの作ったものを避けて動く
  • バケツを持ったまま通れるか判断する

といった経験があります。

これは、子どもにとって、

「自分の腕はどこまで届くか」
「自分の足はどこまでまたげるか」
「自分の体はこの隙間を通れるか」
「道具を持つと身体の幅がどう変わるか」

を確かめる経験になります。

また、身体図式は、道具と自分の身体の制御にも関係します。

  • スコップの先がどこにあるか
  • じょうろをどれくらい傾ければ水が出るか
  • バケツを持つと体がどちらに傾くか

など〈道具を含めた身体操作の感覚を育てます。

ここで鍵になるのが「フィードフォワード」という言葉です。

フィードフォワードというのは、結果が起こる前に予測して先に準備する制御を意味します。

要するに〈こうしたらこうなるだろう〉という先回り思考です。

そして、このフィードフォワードの予測を成り立たせているのが身体図式です。

脳は「自分の身体がこう動けば、重心がこちらに流れるはずだ」という予測を、身体図式に基づいて事前に計算しています。

そして、この計算は無意識に行われています。

だから、〈自分の身体を見ないで手足を動かす〉ことができるわけです。

逆に言えば、身体図式ができていないと、そこから生成される予測はズレるので、不自然な動きや不自然な姿勢が生じてしまします。

幼児期の自由遊びは、身体図式(=自分の体をどう動かせばよいかという身体の地図)を育てる土台となっているわけで、その自由遊びの中でも〈砂+水〉の遊びは、幼児にとって魅力的な遊びなので、効果が期待できる遊びだということができます。参考:「身体図式と姿勢制御 —OrientationとStabilityからAPAまで」(2026)

「裸足」と「桜の実」についても解説する予定でしたが、〈砂+水〉だけでここまで来てしまいました。

この二つについては簡単な解説で終わりにします。

第2ひかり幼稚園での「砂場遊び」では園児が〈裸足〉になっていました。

その様子を見た後に、私はひかり幼稚園にも行きました。

そしたらナント!園児がグランドを〈素っ裸〉で走っていました。

水遊びをして着替える途中で、思わず走り出してしまったのかも知れません。

屋外という環境の中で〈素っ裸〉で走れるというのは貴重な経験です。

幼児期くらいにしか経験できないのではないでしょうか。

斎藤公子は、子どもの発達を〈生物の進化〉から学んでいました。

それを「進化教育学」と言います。

簡単に言いますと、私たち人間の成長は、動物としての成長プロセスやホモ・サピエンスとしての成長プロセスを理解することで、より効果的がアプローチができるという教育学です。

動物は、屋外を〈素っ裸〉で走りますよね。

人類の歴史を見ても、屋外を〈素っ裸〉で走った経験は私たちのDNAの中に刻まれている可能性があります。

ですから幼児期に〈素っ裸〉で走ることは、発達の過程であるという位置づけになります。

考えてみると、屋外を〈素っ裸〉で走ってみると、そこでしか感じられない身体感覚があると思います。

私自身も子どもの時に、海や川で同じような経験をしましたし、その感覚が身体の中に残っている気がします。

そのことに、どれだけの価値があるのかはわかりませんが、

それを「発達の過程」とみなすことと、コンプライアンスに反する「はしたない行為」とみなすことには、見取り方に大きな差があります。

今、私たちの社会はどんどん〈窮屈〉になっています。

せめて幼児教育の世界は、その〈窮屈さ〉から守りたい。

様々な経験をさせてあげたい。

できれば、その経験を科学的に位置づけたい。

それが斎藤公子の願いだったと理解しています。

ですから、私がひかり幼稚園で見た光景は、「砂場」も「裸足」も「桜の実」も「素っ裸」も、すべて同じ文脈で理解することができました。

倉橋惣三の生活を 生活で 生活へという言葉。

子どものありのままの姿をもとにして、その事実を見取って発達へと導くこと。

斎藤公子の「人間の進化」を保育に融合させた視点。

今回は、この二人の人物の考え方にも触れながら、「見取り」の在り方として、次の三つが「発達の三大栄養素」になっていることについて解説しました。

栄養素①:協調運動
栄養素②:感覚統合
栄養素③:身体図式

そして、これらを保障するのが幼児にとって「楽しい!」「できる!」「いつまででもやれる!」という魅力的な遊びということです。


🍎YouTube動画での解説はこちら!
中標津ひかり幼稚園【研究】チャンネル

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水野 正司

子育て応援クリエイター:「人によし!」「自分によし!」「世の中によし!」の【win-win-win】になる活動を創造しています。

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