講座389 「カツオ・まる子・のび太」現象
「授業参観で思い知った40代母の現実。」という4月25日付けのブログ記事を読みました(「おうちと暮らしのレシピさん」)。
とても共感できる内容だったので、この記事について私なりの感想を書きます。
小学校3年生になって初めての授業参観だったそうです。
このお母さんは、
「いつも授業参観では全く手をあげてくれない」
ということに困っているようです。
参観日の前に次のようなやり取りがあります。
「絶対手ぇあげてや!?」
「絶対やで!!?」
「ママ楽しみにしてるからな!?」
「絶対にあげてや!?」
皆さんのご家庭ではどうですか?
似たようなことを言ったことがありますか?
参観日でこのような心配をされたことはありますか?
今回は「このような心配はしなくても大丈夫です!」ということをお話しします。
2.もしかしたら先生のせい?
3.自己責任ではなく社会責任
1.どうして学校の先生は手をあげさせるのか?
学校の先生って、
「これわかる人?」
とかって聞きますよね。
そもそもこの時点でこの先生はアウトなんです。
「わかる人?」って聞くと「わかる子」だけが手をあげますよね。
「わからない子」は手をあげません。
学校の先生方同士でお互いの授業を見て校内で研修するのですが、
このような授業をすると、他の先生方から次のような意見が出るはずです。
その聞き方では「わからない子」が授業に参加できないと思います。
聞き方を変えるべきです。
そうなんです。
これは「聞き方」が悪いのです。
「わかる人?」と聞けば、「かかる人」しか手をあげません。
先生は、その「わかる人」だけを指名すればいいので楽なのです。
教師の世界ではこのような授業を
わかる子だけを相手にする授業
などと呼びます。
「わからない子」を置いてきぼりにする授業の進め方です。
ですから、見る人が見ればすぐにわかります。
参観日で、「これわかる人?」って聞く先生の授業は、十中八九アウトです。
指名した子の発表が終わって、
「ほかに?」
なんて聞いたら確定です。
「わかる子」=「手をあげた子」だけを相手にしている授業だなということが確定します。
2.もしかしたら先生のせい?
ですから、参観日で手をあげない我が子を責める必要はありません。
それは授業に欠点があるという方向で考えてください。
我が子のせいではなく、もしかしたら先生のせい?
その可能性は十分にあります。
ですから保護者の方にも「授業を見る目」を持っていただきたいと思います。
誤解のないように書いておきますが、これは教師を非難しているわけではありません。
教師の世界にも事情があります。
それはともかく、
「手をあげない子も参加できる授業」が広がれば、
それは多くの子どもたちの学習意欲を高めることになると思います。
サザエさんのカツオ君のように、参観日で手をあげられずに叱られる子は減るでしょう。
言っておきますが、
参観日の授業においてすら「わかる人?」とか「ほかに?」などと言っている先生は、
恐らく普段の授業でもそうやっているはずです。
私はそういった視点を保護者の方々とも共有したいと思っています。
それが大きな意味で、学校教育と保護者との連携となり、
子どもたちにとっての利益となるはずです。
今まで、教師の世界にしかなかった「授業を見る目」は、
SNSなどを通じて、社会でシェアされつつあります。
そういう時代です。
私の発信もその一つです。
3.自己責任ではなく社会責任
「これわかる人?」と聞くような授業には名前がついています。
挙手-指名型の授業
手を挙げさせて、指名をするというタイプの授業です。
「挙手-指名」は必要な時もあります。
しかし、四六時中「挙手-指名」に頼っていると、「できる子」だけを相手にしてしまうことになります。
手をあげた子だけを相手にするからです。
これに対して、「他の子の発表を聞いていない子が悪い」といった発想をする教師がたまにいますが、
それは違います。
人の発表を聞いてその発言の内容を理解するというのは大変なことなのです。
大人だってそうです。
音声情報だけを拾って頭の中で理解し、記憶し、整理するのは大変なことなのです。
学力の高い子なら慣れているかも知れません。
しかし、「手をあげていない子」にそれを要求し、ましてやそれをその子の自己責任にするなんてトンデモないことです。
「手をあげていない子」の中には勉強が苦手な子もいます。
たまたま「ぼーっ」としていて集中していなかった子もいるでしょう。
できる子ばかり参加する授業のせいで、参加意欲が低下している子だっているかも知れません(中高生の多くはそうでしょう)。
我が子のせいではなく、もしかしたら先生のせい?
親というのは、小学生の我が子に期待をかけるものです。
でも、だんだんとそれが「あきらめ」に変わる。
世の中にはそういう傾向があるように感じます。
でも、それは本当でしょうか?
お子さんは本当に勉強ができないのでしょうか?
私の経験では、多くの場合、いや、ほとんどの場合、それは違うと思います。
本当は勉強ができるのに、好きになるはずなのに、その機会を得られなかった子がたくさんいるはずです。
そのことを自己責任にしてしまった子がたくさんいるのではないでしょうか?
今は教員にとっても大変な時代です。
どうやって授業をしたらよいのか困っている先生方がたくさんいます。
この問題は、実は、教師個人の問題ではないのです。
多くの教師も、授業の仕方を自己責任と考え、悩んでいます。
これは社会が抱えている問題です。
「カツオ・まる子・のび太」現象と題しましたが、
それはこの問題が身近だということです。
多くの人が知っている。
しかし、そこには「あれども視えず」という世界がある。
その一端を紹介しました。