講座582 「見て!見て!行動(承認欲求)」へのアセスメント・前編
放課後のホール遊びの時間です。
おにごっこ、お店屋さんごっこ、ドッチボール、折り紙、鉄棒…。
園児たちは異年齢でそれぞれに自分たちの好きな遊びをしています。

私はA君の「玉入れ」を見ていました。
実は「玉入れ」って幼稚園では年長さんであっても難しい運動なんです。
「玉入れ」をするには次のようなたくさんのことをしなければなりません。
①かごを見る
②自分との位置関係を計算する
③投げ方を計画する
④姿勢を整える
⑤筋肉を動かす
⑥力とタイミングを調整する
⑦ボールを離す
⑧結果を見る
⑨次の投球を修正する
①~⑨の動きをするためには、〈筋肉〉と〈脳〉がある程度発達していなければなりません。
幼児の筋肉は、肩・肘・手首・指を組み合わせて動かす能力が発達途中です。
脳も、視覚と姿勢や注意やタイミングの制御などを司る実行機能が発達途中です。
そして、その〈筋肉〉と〈脳〉を連携させて「玉入れ」をするわけですから「難しい」わけです。

A君はその「玉入れ」が結構上手に出来ていました。
恐らく、そうした能力はかなり発達しているお子さんなんだと思います。

しかし、気になることがありました。
自分の行動を見てもらいたくて、絶えず「見て!見て!」と言わんばかりに視線を送って来ます。
まず、投げる前にこちらを見ます。
投げるかと思いきや、直前にまた見ます。
当然、投げ終わったらすぐにこちらを見ます。
ずっと「僕のことを見て!」と訴えていることが明確に伝わります。
このような〈見取り〉は子供と一緒に遊んでみることによって判明します。
同時に、幼稚園の先生方のお仕事に改めて敬服致しました。

ということで、今回はA君のように、いわゆる「承認欲求」の強いお子さんへの対応の仕方について考えてみたいと思います。

が、その前に重要なのがアセスメント(見取り)です。
なぜ「重要」かと言いますと、いわゆる「承認欲求(見て!見て!)」の見取りは結構難しいからです。
よく言われるのは「家庭での愛情不足なんじゃないか?」という見取りですが、そんなに簡単な話にはなりません。
まずもって〈先生からの評価を絶えず気にする=承認欲求〉ではないという話から始めなければなりません。
タイトルは、「『承認欲求』への見取り」としましたが、これはそのほうが一般的に分かりやすいと思ったからです。
ここからは、A君への見取りを一度リセットして、〈先生からの評価を絶えず気にする〉というA君の事実だけを対象に話を進めて行きたいと思います。

新テーマ:「先生からの評価を絶えず気にする子」へのアセスメント
〈先生からの評価を絶えず気にする〉という行動は、どのように見取ればよいのでしょう。
四つ考えられます。
【仮説A】快感を求めている
大人の注目が、強化子になっているケースです。
大人に見てもらえることによって〈ウレシイ・タノシイ〉という感情が湧いて快感を手に入れることができるので、「見て!見て!行動」をするということです。
多分、脳内ではドーパミンが分泌させているのでしょう。
逆に言えば、ドーパミンの分泌を必要としているお子さんです。
ADHD圏に多く見られる行動パターンですね。
そう考えると、この場合は単なる「愛情不足」とは違ってきます。
もともとの特性ですから、その特性を理解して、どのように成長させるかという方向で対応を考えることになります。
保育上、かまってあげることは大切ですが、いつまでも〈先生に見て欲しい〉だけでは子供同士のつながりが薄くなります。
コミュニケーション能力や自己調整能力の発達へつなげる対応が必要です。
先生がいつまでも見てあげていると、その行動を強化させてしまうことにもなるので、いつまでも〈見てあげる〉だけでは不適切となります。

【仮説B】不安行動
〈評価を絶えず気にする〉という行動は、〈正しくできているか不安である〉という無意識が源になっている場合があります。
「これでいい?」
「投げていい?」
「失敗していない?」
「怒ってない?」
といった確認行動が身体化しているお子さんに見られます。
こうしたお子さんは、さまざまな場面で確認行動をするはずです。
・何かを制作する時に手順ごとに先生を見る
・着替えでも「これでいい?」と確認する
・失敗すると強く動揺する
・正解のない遊びでも許可を求める
などです。
この場合に求めているのは「快感」ではなく、不確実性や失敗・不安を下げるための「安心」です。
そう考えると、〈どうしてそんなに不安を抱えているのか?〉という見取りが必要になりますよね。
大きく分けると、
①ASDの特性からそうなっている子
②家庭で常に怒られているなどのストレスからそうなっている子
③その重複
という3パターンがあるように思います。
①であれば、不確実性や失敗・不安を下げるための「安心情報」を与えることが支援になります。
②であれば、〈家庭の理解〉あるいは〈福祉との連携〉が必要になります。
③であれば、その両方ですね。

【仮説C】自己評価がまだ外在化されている
〈大人の評価を絶えず気にする〉という行動は幼児にとって普通の行動です。
ここで言う「普通」とは、発達には個人差があるという前提を意味しています。
つまり、「5歳」という年齢では、〈大人の評価を絶えず気にする〉子もいるだろうし、〈もう気にしない子〉もいるのが普通という意味です。
「気にする子」は、自己評価がまだ外在化されています。
「気にしない子」は、自己評価が〈友達〉や〈自分〉になっています。
そこで重要になるのが、その「外在化」が自然に減るものなのか特別な支援を必要とするものなのかという見極めです。
前者であれば、自分で評価する経験が少なく、大人の評価を多く必要としていると考え、評価し続ける(積極的に見てあげる)という方針になります。
つまり、発達と経験によって減るわけです。
しかし、後者であれば、何かしらの困難を抱えているわけですから、その困難の見極めが必要になります。

【仮説D】何らかの困難を抱えている
「困難」とは、たとえば、相手の意図、場面の意味、ルール、成功基準など理解する力の不足などです。
そうした力が不足していることによって、〈大人の表情〉を判断材料にしているとう見取りも成り立ちます。
これは〈先生が「外付けの社会理解装置」になっている〉という状況です。
友達の表情や周囲の状況だけでは判断しにくいため、先生を見ることで答えを得ようとしているわけです。
・先生が笑っているから大丈夫
・先生が止めに来たから相手が悪い
・先生が自分を見たから自分は守られている
など、先生の行動(特に表情)を頼りに自分を制御します。
たとえば、他児に乱暴をした場合のアセスメントでは、
友達の意図が分かりにくい
↓
不安・警戒・怒りが高まる
↓
言葉で確認できない
↓
押す・叩く・奪う
↓
先生が来て、注目し、状況を整理する
↓
先生の反応によって状況を理解する
↓
次の場面でも、先生の注目を早く確保しようとして乱暴する(改善されない)
という理解になります。
ですから、この場合は、先生がいくら喧嘩の仲裁に入ったとしても乱暴は繰り返されてしまいます。
ポイントは、出発点である「友達の意図が分かりにくい」という困難にあるわけです。
その困難さを解消しない限りは、
・暴力が頻発する
・対人理解がほとんど進まない
・集団参加の困難が大きい
・教師への確認が減らない
・家庭でも同様の困難がある
といった状況がくり返されます。
こうし状況があるならば、専門機関との連携が必要になります。

子供の「見て!見て!行動」は、幼稚園だけではなく、小学校や中学校でもあります。
「承認欲求」という言葉で片付けるのではなく、丁寧で専門的な見取りが必要であることを改めて感じました。
そんな時、大人である私たちはどのように対応したらよいのでしょうか。
次回はその対応方法について解説します。



