講座437 語彙爆発の秘密①
先日、久しぶりに先生方の前で模擬授業をしました。
今回はその時の授業を再現してみようと思います。
テーマは「語彙爆発」です。
子どもの言葉数は1歳8ヵ月頃を境に急激に増えます。
1歳時点での平均的な言葉数は「3語」ですが、2歳2ヶ月の時点では「300語」です。(GoogleBard調べ)
この急激に増える現象を「語彙爆発(ごいばくはつ)」と言います。
現在、語彙爆発が起きる理由は3つ考えられています。
一つ目の理由は、赤ちゃんが《生まれつき持っている能力》にあります。
二つ目の理由は、0歳~1歳までの一年間では《ほとんど増えないこと》に秘密があります。
三つ目の理由は、《なぜ1歳半を過ぎたあたりで突然増えるのか》ということです。
さて、これら三つの理由を一つずつ解いて行きましょう。
1.赤ちゃんが生まれつき持っている能力
今から約10万年前には今の人類以外にもいくつかの人類が暮らしていました。
①サピエンス人(現在生き残っている人類)
②ネアンデルタール人(絶滅)
③デニソワ人(絶滅)
④エレクトス人(絶滅)
⑤ソロエンシス人(絶滅)
⑥フローレシエンス人(絶滅)
ところが、現在地球上に生き残っている人類は《サピエンス人》だけです。
②~⑥の人たちは1万4000年前に地球上から姿を消しました。
それはなぜなのか。
サピエンス人がヨーロッパへ行くと、なぜかそこに暮らしていたネアンデルタール人が絶滅しました。
シベリアへ行くと、なぜかそこに暮らしていたデニソワ人が絶滅しました。
アジアへ行くと、エレクトス人が絶滅し、
インドネシアのジャワ島へ行くと、ソロエンシス人が絶滅し、
インドネシアのフローレス島へ行くと、フローレシエンス人が絶滅しました。
なぜ絶滅したのか。
原因は二つ考えられています。
一つは、サピエンス人が他の人類を殺した。
一つは、サピエンス人がその土地に行くと食糧を狩猟採集してしまうので食べ物がなくなって絶滅した。
その両方があったかも知れませんが、サピエンス人の方が《生きる力》を持っていたことは確かです。
では、その《生きる力》とは何なのか。
言葉を持っていたからではありません。
言葉は②~⑥の人類も持っていました。
体力があったからでもありません。
体力ならネアンデルタール人の方が背も高く、筋力もありました。
脳が大きかったからでもありません。
脳の大きさもネアンデルタール人の方が大きかったことがわかっています。
言葉でもなく、体力でもなく、脳の大きさでもない。
その《生きる力》とは何なのか。
それは言葉の使い方におけるAとBの違いでした。
AとBはどこが違うのでしょう。
Aは《今見たこと》です。
これは人間に限らず、シジュウカラやサバンナモンキーでも言えます。
それに対してBはどうなのか?
「あそこにライオンがいるかもしれない!」は、目の前に見えていないことです。
想像とか推測ですね。
人類Aはこれが使えません。
ヘビが出て来た時にしか危険を告げられないので、噛まれてしまうかも知れません。
しかし、ヘビが出て来る前に予想でもってコミュニケーションがとれたなら、危険を回避する確率が高まります。
「この槍、投げても使えるんじゃね?」はどうでしょう?
これもコミュニケーションです。
まだやっていないことを想像して話し合っています。
これも目の前では見えていないことです。
人類Aには出来なかったコミュニケーションです。
実際、ネアンデルタール人は槍を衝くことしか出来ませんでした。
投げて使うという発想がなかったので獲物に近づいて狩りをしていたため命を落とす率が高かったのです。
「あいつマジすげえ!神だ!」はどうでしょう。
その人が《私は神の使いである!》と言ったとしてもいいでしょう。
これも見えない世界の話です。
見えない世界の話は人をまとめるのに役立ちます。
噂は噂を呼んでリーダーやスターや象徴が生まれます。
そうなるとたくさんの人を一つにまとめることが出来ます。
人類Aはそれができなかったので知ってる人同士での集団の限界値である150人程度(ダンバー数と呼ばれる)でしか行動できなかったはずです(実際はもっと少なく20~30人程度だったと言われている)。
ところが、噂や象徴という絆で結ぶともっと大人数の集団を誕生させることが出来ます。
そんな大集団が自分たちの狩場に移動して来たら大変です。
しかも、槍を投げたり、危険を察知したりというチームプレーが出来る。
他の人類にとっては脅威です。
それがこの違いとなったわけです。
私たちは噂話が出来ます。
私たちは文学作品をつくることが出来ます。
それらが仮想世界でのコミュニケーションです。
そして、そのコミュニケーションを可能にさせている能力が推論力(既知の事柄を基準として未知の事柄を論理的に考える能力)です。
サピエンスだけがなぜこの能力を獲得したのかはわかっていません。
ただ、現在生き残っている人類はサピエンス人だけですので、私たちは遺伝的に推論力を持って生まれて来ます。
赤ちゃんにもこの能力はあるのです。
そして、語彙爆発にはこの能力が使われます。
先日、岡山県のママさんからこんな報告がありました。
我が家の長女は、2歳1か月で、推論力をフル活用している気がします。
特に多いのが、兄達からの影響。
2人の兄の会話やすることを真似して、周りの反応を見て、適切なタイミングで使えてるのかどうか、確認していることが、けっこうある気がします。
この前、長男の矯正器具を見つけて、
「にぃにぃ、きょーせー、してないよ。
また、わすれてるよ。」
と私に言ってきたときには、笑ってしまいました。
『また』の使い方が、バッチリでした。
貴重な報告です。
2歳1か月の娘さんがいつの間にか「また」を正しく使っていたというエピソードです。
これがまさに推論です。
兄の会話やすることを真似して、周りの反応を見て、適切なタイミングで使えてるのかどうか、確認していることが、けっこうある気がします。
《「また」という言葉はこういう時に使うんだな》ということをいろんな場面で学習しているわけです。
これは帰納法と呼ばれる推論です。
《「また」っているのは何度も忘れた時に使うんだな》という理解もしていることでしょう。
これは演繹法という推論です。
でも、帰納法も演繹法も頭の中で言葉を使っていますよね。
実は、まだ言葉数が少ない乳幼児にこのような明確な思考法は出来ません。
帰納法でもなく、演繹法でもない推論。
乳幼児が使うのはアブダクション推論です。
たとえば、
「投げる人がピッチャーで、受ける人がキャッチャーだから、打つ人はバッチャーだよね。」
なんて言ったら笑われますよね。
子どもは大人の反応を見て、「あれ?間違ったかな?」と思います。
「にぃにぃ、きょーせー、してないよ。また、わすれてるよ。」
「すごい!『また』の使い方が正しい!」
なんてほめられると、「やった!合ってたんだ!」と思います。
このように《あれ?間違っていたのかも知れないな》とか《やった!合っていたのかも知れないな》と考えるのがアブダクション推論です。
しかも、アブダクション推論は言葉で明確に思考する推論以外をも含みます。
《あれ?間違っていたのかも知れないな》とか《やった!合っていたのかも知れないな》ということを直観で理解します。
《あれ?間違っていたのかも知れないな》
《これはきっと何度も忘れた時に使うんだな》
《やっぱり正しかった!》
このようなことを言葉を使わずに直観で感じ取るのもアブダクション推論です。
だから、乳幼児は頻繁に親の表情を見ます。
また、乳幼児期の様々な体験の中で、子どもはアブダクション推論を働かせます。
ですから《体験》が必要なのです。
ということで、語彙爆発は、赤ちゃん(サピエンス人)のDNAに組み込まれている推論力が重要なカギになります。
第一の理由は、《人間(サピエンス人)は推論力を持っているから》です。
続きはまた今度。
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