講座406 学校の先生方は「○○○」を知らない
昨日、北海道の北見市で上のような「子育て講座」をして来ました。
毎年恒例です。
3時間しゃべりっ放しの過酷な(^^)講座です(^^)/
その3時間を長く感じさせないで楽しくやるのが私に課せられた使命です。
今回はこの時の講座の内容を紹介させていただきます。
まずは最初の5分くらい、スライドの2~3枚くらいを解説します。
我が子の学力は小1で決まる
最初の画面で講座の全体像を示しました。
これはもう皆さん想像がつきますよね。
答えを出さずに次に進みます。
社会科の授業のように「わかったこと、気づいたこと、思ったことを書いてください」とやりました。
「小学生だと軽く10個は書きますよ」などと煽ります。
「青と赤と黄色がある」でもいいんです。
「小学生なら書きますね。発表を恐れませんから(笑)」
そんな感じで進めていきます。
そして、発表。
さすが大人ですね。
凄いのが出ました。
①線は交わることがない。
凄いですねえ。
つまり、親(家庭)による差は小学校教育では変わらないということです。
いきなり本質を突いた読み取りです。
グラフというのはこういう風に読むというお手本です。
②緑は赤に近い動きを示すけど、青は違う。
これまた凄い読み取りです。
確かに緑は赤に追いつこうと頑張っていますね。
でも、青は独自の動きを示しています。
私の印象ですが、赤や緑の家庭では、親が子どもの勉強に寄り添うような場面があると思います。
それに対して青の家庭では、「宿題やったの!」「早く勉強やれ!」「そんなのもできないのか!」みたいな突き放すような場面があるのじゃないかと(勝手な印象ですが)あります。
「思ったこと」ですからこんなことでもいいんです。
グラフの読み取りを短い言葉で収束させると「格差」ということになります。
そこで問題2は「なぜ格差は縮まらないのか」です。
これもいろいろな考えが出されましたが、「学校の先生」に原因を求める声は少なかったです。
そこで私の解説です。
正規分布のグラフを出しました。
本来、学校の先生の授業力(教える力)というのは「こうなる」はずなんです。
たとえば、これは駿台模試の結果分布ですが、だいたい正規分布になっていますよね。
こちらは、2020年に公開された東大合格者の全体平均点ですが、これもだいたい正規分布の形です。
つまり、何が言いたいかと言いますと、
勉強すればその結果はだいたい正規分布になる
ということです。
具体的に言いますと、
中位の人がたくさんいて、両極端は少ない
そういうことです。
ところが、学校の先生方の授業力をグラフにすると、
べき分布の形になる、というのが私の主張です。
パレートの法則に従えば、8割の教師は「授業の仕方」を習わないで現場に出されて、2割の教師が独自の努力で「授業の仕方」を身につけているということです。
8割の教師が「授業の仕方」を身につけないまま子どもたちに授業をしているとしたら、そりゃあ格差は縮まらないですよね。
縮まらないどころか広がってしまいます。
断っておきますが、これは現場で奮闘されている先生方個人の問題ではありません。
先生方が悪いのではありません。
そのことを分かり易く説明します。
大学入試の結果は正規分布になりましたよね。
これは、勉強した内容が試験内容と一致しているからです。
当日の試験では、どんな問題が出るかはわかりませんが、出題範囲は決まっています。
高校で習った勉強にちょっとした応用問題が出るくらいです。
ですから、それを勉強すれば「ある程度の点数は取れる」のです。
努力すれば報われるのです。
ところが、教員養成制度の場合は、努力が報われません。
教師になるために勉強したことが現場に出た時に必要なこととミスマッチしているからです。
免許を取り、採用試験にも受かっても、現場で必要なのは「試験の知識」ではなかったのです。
子どもたちを前にした時に必要なのは「授業の仕方」なのです。
これは6月26日の日本教育新聞の記事ですが、アンケートのタイトルが「教師になってから悩んだこと、悩んでいること」です。
その一位が「授業がうまくいかない」なんです。
なぜ、うまくいかないのでしょう。
それは、
授業をおこなうには専門的な知識と技能が必要だからです。
その知識を習わずに、その技能を身につけずに、裸で現場に出ているのですから悩むのです。
受験勉強では、勉強したことがテストに出ます。
ですから、結果は正規分布になります。
しかし、日本の教員採用制度では、勉強したことが現場でほとんど役立ちません。
役立つのであれば、「それなりにやっていける」という中間層が多いはずです。
つまり、グラフはこうなります。
約7割の先生方が「それなりにやっていける」=「授業の仕方を持っている」となるはずです。
受験勉強のように、出題範囲が決まっていて、努力が報われる世界では、中位の成果を手に入れる人が多いはずなのです。
ところが、教員養成制度では、出題範囲と現実が別になっています。
しかも、その現実世界では専門的な知識・技能が必要なのです。
教師は専門職だったのです。
世間の多くが知らない専門的な知識が必要で、参観日などで授業を見てたってその裏にある配慮や技はシロウトには見抜けない、そういった知識・技能があるのです。
見たことも聞いたこともない知識。
たとえば、「四分六の構え」「AさせたいならBと言え」「一時に一事の法則」「セロトニン5」とか言われても試験には出ないから知らなくて当然です。
でも、現場では毎日のように必要な知識です。
そのような知識に加えて「顔を上げて授業をする」「笑顔で授業をする」「楽しそうに授業をする」といった技能も必要です。
これも実技試験にはないと思います。
ですから練習したことがないでしょう。
練習しないでいきなり子どもたちの前に立っている新卒教師がほとんどだと思います。
でも、こうしたことが教師の専門的力量なのです。
教員養成制度では、出題範囲と現実が別
ですから、べき分布なのです。
ですから、 「教師になってから悩んだこと、悩んでいること」の一番が「授業がうまくいかない」なのです。
最後に、最近耳にした若い教師の声を紹介させていただきます。
「小学校、中学校、高校、大学と、頑張れば点数として結果が表れて、やりがいもあったけれど、教師になってからは、何をどう頑張れば結果が現れるのかわからないです。教師になってから、わくわくどきどきがないというか…。」
現場に出て、知識や技能を伸ばそうと思っている先生方もいます。
しかし、学校現場にそのような機会がないのです。
あるのは仕事、仕事、仕事…。
採用試験に合格して、やる気もあるのに、「何をどう頑張れば」いいのかがわからない。
「8割」から抜け出そうとする先生もいるのです。
養成制度、採用制度が変わらないのであれば、せめてそうしたやる気のある先生方の力になりたいと思います。
この続きはまた書きます。
模試や入試問題は、個々人の学力差(偏差値)がはっきりと出るように、問題を作っています。正規分布するように、出題されているのです。少々口が悪いですが、操作しているのです。
教師の教え力が正規分布したら、それはそれで困るでしょう。それなりにもやっていけない先生が例示のように3割もいたら、学校は混乱すると思います。
教員も職業であるので、一定以下の能力しか持たない者は極力採用しないはずですし、たまにハズレも混じるかもしれませんが、3割もハズレがいるとは思えません。一般の会社でも公務員でもそれは同じです。
ただ教員固有の特徴として、ときどきスーパーマン教員がいることです。スーパーマンと比べられたら、普通の先生は立場がなくなります。
自治体で子育て支援をしていましたが、子育て支援に最も必要になるのも「教え方」「関わり方」です。大学で知識の基盤を習っていくら自分が知識を持っていても、関わり方のスキルがないとまず話を聞いてくれませんからね。
大学は仕事で使うようなことは教えてくれません。これは専門職の宿命です。ただ、私の職場では上司による指導の時間もあり、勉強する時間を作ることが可能でしたので、ある程度スキルを身に付けることができました。結果的に体を壊しましたが…。