講座563 ASDの子が「失敗」や「間違い」に弱い理由

私は自分がASD圏の人間であることを自覚しています。

今は「圏」ですが、子供の頃は正真正銘の「ASD児」だったと思います。

発達検査をする側になって確信しました。

自分の特性はASDの特性とかなりの部分で重なるのです。

その特性のひとつに〈ASD児は間違いや失敗に弱い〉ということがありますが、

今回はこのことにスポットを当てて考えてみたいと思います。

 目 次
1.間違いや失敗、負けることが大嫌いなAさん
2.「やだあー!私、長い文苦手~!」というAさん
3.「自由エネルギー原理」から解説する
4.授業とはそういうもの
5.予測誤差の少ない授業

1.間違いや失敗、負けることが大嫌いなAさん

先日、S先生がAさんの様子を教えてくれました。

Aさんは「間違いや失敗、負けることが大嫌い」だとS先生は認識されています。

Aさん自身も「私、勝ち負けがあるゲームは嫌いなの。泣いちゃうかもしれない。」と言っているそうです。

実はこれ(自分で自分の特性を知っているということ)は、発達上とても〈良いこと〉なんです。

凸凹や時間差があるのが神経発達症(発達障害)ですから、その特徴を理解しておくことは社会生活をする上で〈欠かせない〉というか、〈有利〉というか、とても〈良いこと)です。

そして、Aさんの周りの人も、そのことを理解しておくのが同じように大切なことです。

このような相互の理解は「発達障害」という言葉が社会に広まったせいで、だいぶ一般的になりました。

そこで今回は、そこをもっと掘り下げて、

では、一体なぜASDの子は間違いや失敗が嫌いなのかについて解説したいと思います。

2.「やだあー!私、長い文苦手~!」というAさん

人間の脳は、受け身で刺激を待っているのではなく、過去の経験をもとに「次に何が起こるか」という予測を常にしています。

S先生は「アレクサンダとぜんまいねずみ」という物語を授業しました。

Aさんは授業が始まる前から「やだあー!私、長い文苦手~!」と言っていたそうです。

これが「予測」です。

どうやらAさんは自分の脳の状態を素直に表現できるようですね。

それはきっとS先生との関係が安心できるからだと思います。

安心できる関係がない環境だと、自分を守るための行動が強く出ますので、このような「素直な表現」は見られなくなると思います。

したがって、この「やだあー!私、長い文苦手~!」という言葉を口に出したのは〈良いこと〉です。

そして、この言葉からわかることがあります。

それは〈過去に国語の授業で長い文章を学習した時に嫌な経験をしたことがある〉ということです。

ですから、このことを踏まえた時に、教師は〈なんとかしてAさんに成功体験を与えたい〉と考えるわけです。

S先生はどうしたか。

S先生は「そうなの」という微笑みをAさんに送りつつ、授業を始めました。

これができる教師はそんなに多くはいないと思います。

直感で〈1000人に1人くらい〉です。

第一に、「やだあー!私、長い文苦手~!」というAさんにかまっていません。

それよりも授業を先に始めています。

これは〈授業でAさんを満足させてみせる〉という意志があるから出来ることです。

多くの教師はここでかまってしまってなかなか授業が始まらないケースに陥ります。

そのうち他の子が関係ないことをし出して本当になかなか授業が始まらなくなります。

一部の教師は〈そのほうがいいや〉と思ってわざと関係ない話を続けたりします。

授業をやりたくないと思っていたり、授業に自信のない教師に見られる残念な態度です。

第二に、Aさんを無視していないということです。

かまってはいませんが、無視はしていない。

〈微笑みを送る〉という対応をしています。

この「一」と「二」を瞬時にしているのです。

授業に自信があり、なおかつ〈微笑みを送って無視をしない〉という技量がなければできません。

ですから「1000人に1人くらい」と書いたわけです。

ちなみに「授業に自信」とは、〈授業の中で満足させてあげるから待っててね〉という意志であり、そのための具体的な手立てを持っているという意味です。

こうしてS先生は「アレクサンダとぜんまいねずみ」の授業を始めました。

3.「自由エネルギー原理」から解説する

範読を始めて見ると、あんなに嫌がっていたはずのAさんが目と指でしっかり辿り、登場人物を見つけると鉛筆で囲み、しっかり学習していることに驚いた。

授業の途中でS先生は驚きました。

嫌がっていたAさんが積極的に参加しているのです。

一体何がそうさせたのでしょう。

脳は、「次に何が起こるか」という予測を常にしています。

これを予測符号化理論と言います。

「常に」という説明に注意してください。

「絶えず」と言ってもいいですし、「自動的に」と言ってもいいでしょう。

そして、私たちの生活の中には様々な信号(情報)が飛び交っています。

今も私の目の前にはパソコンの画面があり光を発していますし、窓の外ではトラックの走る音がしています。

時計がカチカチ鳴る音も聞こえますし、キーボードを叩くためにローマ字を読まなければいけません。

こうした様々な信号(情報)が飛び交う中で、脳は「次に何が起こるか」という予測を常にしています。

予測ですから、当たり外れがあります。

予測通りに環境が変化することもあれば、予測が外れて予想外のことが起きる場合もあります。

いちいちその「当たり外れ」を気にしていたら切りがありません。

何しろ眠っている間以外は常に予測しているわけですから(脳は眠りませんけど)。

この〈「当たり外れ」を気にしないでいられる〉というのも脳の重要な働きによります。

なぜ「気にしないでいられる」のかと言いますと、

予測が外れたとしても、〈これは無視していい誤差だ〉という判断と、〈この想定外は重要だ〉という判断を、ほぼ自動的にやってくれているからです。

ですから重要な想定外が起きた時だけ「これは大変だ!」と判断すればいいことになっています。

ただし、これはいわゆる定型発達の人が持っている働きです。

ASDの人の脳は違います。

ASDの人の脳は、あらゆる予測誤差を一律に「これは大変だ!(予測とは違う!)」と判断してしまいます。出典:Precise minds in uncertain worlds: predictive coding in autism(2014)

ちょっとの違いも〈見逃さない/見逃せない〉のです。

「感覚過敏」は同質の反応です。

本来は無視すべき微細な感覚のズレを「重要な信号」として拾ってしまうため、感覚が圧倒されてしまいます。

「細部へのこだわり」も同質の反応です。

全体よりも、目の前の正確な細部(誤差)を優先するため、「木を見て森を見ず」の状態になります。

そして、ご存じの通り、ASDの人のこうした特徴は社会を生き抜く〝武器〟にもなります。

普通の人が気づかないような微妙な味覚の違いを察知できたり、細部にこだわった作業を成し遂げたりできるのはASDの人だから持っている長所です。

ただし、デメリットもあります。

まず、予測結果に常に大きな影響を受けるので疲れます。

見逃していいものまで気になってしまうわけです。それも一日中です。

次に、他者の表情や会話の意図などのように〈予測しづらいこと〉に極度の不安を感じてしまいます。

脳は常に予測しようとしますが、「当たり外れ」が明確でないので「当たり」でも「外れ」でもない結果、つまり「エラー」が生じます。

したがって〈予測しづらいこと〉は苦痛なのです。

そして、そうした苦痛から逃れるために、予測が100%当たる環境(反復行動や決まった日課)を作ることで安心を確保しようとするわけです。

自分で〈自分が安心できる計画を作る〉と言ってもいいでしょう。

こうしたASDの特性がなぜ起こるのかについては、「自由エネルギー原理」からも説明されるようになりました。

人間の脳は、環境の不確実性を最小限にするために、測誤差を最小化するように動くという原理です。参考:Predictive coding under the free-energy principle(2009)

学校教育における授業の在り方は、恐らくこの「自由エネルギー原理」から説明できると思います。

キーワードは「予測誤差」です。

4.授業とはそういうもの

S先生は範読する前に、物語の題名を確認させています。

「題名は何ですか?」
Aさんは「わからなーい!」と言ったが、残りの3人が「アレクサンダとぜんまいねずみ!」と答えた。
「正解!どうしてわかったの?」と聞くと、
「ここに書いてあったから!」と口々に言う。
ここで、Aさん「そっかあ!」と前向きになれた。
私は「Aさん、わかってよかったねえ!」と笑顔を送った。

この時のAさんは、まだやる気になっていません。

「そっかあ!」の時点でやる気になっています。

それはなぜでしょう。

いくつかの授業技術が隠されています。

第一に、「題名は何ですか?」という問い(発問)です。

こういう聞き方をする教師は少なくなったような気がします。

自主的に勉強している教師でなければ使わない聞き方だからです。

この聞き方は「分析批評」という物語読解の手法の基本で、「設定(時・場所・登場人物)」と同様に、授業を進める時の〝型〟です。

多くの教師はこうしたことを素通りすると思います。

なぜなら、題名は見ればわかるからです。

あえて問題にしなくても教科書に堂々と書いてあるからです。

それをあえて聞くというのは意図があるからです。

第二が、その意図です。

S先生は「正解!どうしてわかったの?」と聞いています。

子供達は「ここに書いてあったから!」と口々に言います。

教師は子供達がそう言うのをわかっていて聞いているのです。

つまり、〈授業の最初に褒めることができる〉からわざと聞いているのです。

このようにすると、多くの子供達は〈なんだ簡単じゃないか〉と思います。

ASDの子は、ちょっと違います。

〈先生の授業には予測誤差がない〉と認識します。

問いが明確で、探し方も明確で、答えも明確だからです。

それがAさんの「そっかあ!」です。

予測誤差がないとなれば授業に安心して取り組めます。

過去には嫌な思いをしたでしょうが、S先生となら楽しくできそうだ!

そう思ったのではないでしょうか。

予測誤差が少ない。

これが第三のポイントです。

そして、ここでもS先生はAさんに視線を送っています。

「Aさん、わかってよかったねえ!」と、名前を付けて、笑顔で、フィードバックさせました。

これは「記述的フィードバック」と言って、よかった行動を具体的に伝えることでその行動を強化する技術です。

このようにS先生は範読する前から、Aさんを成功体験に導くための道ならしをしていました。

だからこそ、すぐに授業に入ったのです。

だからこそ、すぐに授業に入るべきなのです。

授業とはそういうものです。

5.予測誤差の少ない授業

「題名」の後に「登場人物」を予想させるやり取りもありますがここでは省略します。

簡単に説明しますと、登場人物は誰か確定するためには「読まないとわからないよね」となり、

それで教師の範読が始まるという流れです。

その場面です。

「じゃあ、先生が読みますから、みなさんは、この人たちが出てきたら〇で囲んでね」と指示した。
範読は場面ごとに区切りながら進める)

全文を扱うと長くなり、子供達の集中力が続かないと判断してS先生は最初の場面だけを読みました。

これは「成功」させるための配慮です。

全文を読むよりも、子供達(特にAさん)に成功体験を持たせることの方が重要だと判断したのでしょう。

これも〈できるようでできないこと〉の中のひとつです。

教師(特に国語の指導の熱心な教師)の中には、何が何でも〈最初は物語を全部読んであげて作品を味わわせたい〉と考える方がいて、味わうどころか子供達は飽きてしまって意欲をなくすケースが少なくないのです

しかも、教師はそのような子供達の様子に気づかずに〈読んであげた〉という満足感に浸って次に進んでしまいます。

私はそういう授業をいくつも観て来ました。

S先生はどうか。

先生が読みますから、

みなさんは、

この人たちが出てきたら〇で囲んでね

やることが明確です。

先生が読むのを聞きながら、登場人物が出てきたら〇で囲む。

Aさんの頭の中では、誰が登場人物かの予測はあらかたついています。

「出てきたら○で囲む」という作業もイメージできます。

このような授業を〈何をすればいいのかが明確な授業〉と言います。

自由エネルギー原理で言えば、〈予測誤差の少ない授業〉です。

全部を解説すると大変な量になるので、授業の最後の部分だけを紹介させていただいて終わります。

「では、アニーは登場人物でしょうか?
 アニーは登場人物であると思う人?
 いや、登場人物ではないと思う人?
 さあ、そうだといえる証拠を教科書から探してごらん。」
 4人とも一生懸命教科書から探していた。
 1番最初に気づいたのが、Aさんだった。
「あ、アニーはしゃべってないし、行動してない。ウイリーの話の中に出てくるだけだ。」
「ってことは、アニーは登場人物じゃないんだ!」
 Aさんのつぶやきに、B君も「アニーは登場人物じゃないね!」と賛同。
 私は「自分達で調べて気づけたのは、とってもすごいことだよ!Aさんのおかげで、いいこと1つ学べたね!」
と大いに褒めた。
 Aさんはにっこり落ち着いて受け止めていた。

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水野 正司

子育て応援クリエイター:「人によし!」「自分によし!」「世の中によし!」の【win-win-win】になる活動を創造しています。

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