『科学的に考える子育て』その②
「学校は社会の縮図ではない」
和久田学『科学的に考える子育て』第4章のタイトルです。
言うまでもなく、社会は時代と共に変化しています。
しかし、学校はどうでしょう?
「ちびまる子ちゃん」は35年前の設定なのに、現在の学校と大差はありません。このことからも「学校は社会の縮図ではない」ということがイメージできると思います。
では、どうして学校は変わらいのか。2か所抜粋しましょう。
つまり学校の先生は、小中学校、大学を通して「学校教育の勝ち組」であり、知的能力が高いことが多く、しかも学校について良いイメージを持っている人がほとんどでしょう。(74ページ)
では、教育委員会にかかわる人、文部科学省の役人、政治家でも教育に関心を持つ人たちはどうでしょうか。この人たちも、教師同様に学校教育の生存者である可能性が高いでしょう。学校教育について論じ、学校教育のあり方について考えたり決定したりする人たち、そして学校現場で働く人たちのほとんどが学校教育の生存者です。(75ページ)
言葉は悪いのですが、「居心地がいい」「それ以外の経験がない」ということが変わらない要因として指摘できるのではないかということです。
さらに次のことも言えます。それは、勉強の中身(学習指導要領の中身)が増え続けているということです。時代が変われば新しい教育内容(英語やプログラミング教育など)が必要になります。ところが「勉強の中身」は削減されません。
生きる力をつけることは重要です。新しい学習指導要領の方向性に間違いはないと思うのですが、あれもこれもと「足し算」のみを求めるのは難しいでしょう。子どもの時間にも教師の努力にも限りがあります。新しい教育にするには、大胆に何かを減らすことが必要だと思われます。(84ページ)
無理が続けば、いつかは破綻します。
学校も、子どもも、家庭も、地域も。
学校に子どもたちが戻って来た時に、「安心」だけでは済まない状況が生まれているでしょう。
学校は「社会」を考えるべき時に来ています。